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皇室と文化―その3 芸術・学術へのご支援

『皇室』バックナンバーより 第20回
令和8年6月5日
皇室と文化・芸術とのかかわりを紹介する第3弾。今回は明治以来の芸術・学術へのご支援について紹介する。
(93号より)



帝室技芸員とパリ万博
 古来、遷都や戦乱などで天皇の住まいが変わるたび、御所を装飾するために一流の作家たちが美術工芸品を製作してきたが、明治21年(1888)に竣工した明治宮殿(昭和20年焼失)は、皇室が美術工芸界への関与をさらに深める契機となった。同年、美術工芸作家の保護と制作奨励を目的とした宮内省工芸員制度が設けられたのである。これは後に宮内省技芸員、さらに同23年に帝室技芸員制度と名称を変え、昭和19年(1944)までの55年間にさまざまな分野の工芸家計79名が任命された。技芸員には当時の金額で年金100円が生涯にわたって下賜された。
 明治33年(1900)に開催されたパリ万博には帝室技芸員をはじめとする23名の作家たちが、明治天皇のご下命により作品を制作。作品はパリ万博で高い評価を受け、博覧会終了後は明治宮殿や離宮などで実際に使用された。
帝室技芸員は、明治10年(1877)から同36年(1903)にかけて開催された内国勧業博覧会にも出品するなど、日本の美術工芸界の発展に寄与した。

日本芸術院へ恩賜賞を
 現在、皇室は文化庁管轄の日本芸術院に恩賜賞を下賜することによって、美術、文芸、音楽、演劇など各分野の優れた芸術家を顕彰されている。
 日本芸術院は明治40年(1907)に創設された美術審査委員会を母体としており、昭和16年から会員以外を対象に、卓越した芸術作品を制作した者及び芸術の進展に貢献した者に日本芸術院賞を授与している。恩賜賞は日本芸術院賞受賞者の中から選ばれる栄えある賞で、天皇・皇后両陛下は授賞式に臨席されるだけでなく、日本芸術院賞受賞者や日本芸術院新会員を招いての茶会も催されている。
 また皇室の方々は美術展や演劇、音楽会などに足を運ばれることで、芸術に携わる人々を励まされている。
 ご自身もヴィオラを演奏される天皇陛下、はクラシック・コンサートによくお出ましになる。チェロを弾かれる上皇陛下、ピアノがご趣味の上皇后陛下は毎年のように草津で行われる音楽会に臨席されていた。
 毎年10月1日から11月30日までの2か月間にわたり、現代舞台芸術と伝統芸能のさまざまな公演が行われる文化庁芸術祭では、オープニングの公演を秋篠宮皇嗣・同妃両殿下が鑑賞されるのが通例である。
 学生時代より手話を勉強されていた秋篠宮妃殿下と佳子内親王殿下は、手話狂言を鑑賞されることが多い。またさまざまな美術展、書展にも両陛下はじめ多くの皇族方がお出ましになるなど、皇室は一貫して芸術に関わる人々を支えておられる。

日本学士院を通して学術振興支援
 学術支援に目を転じれば、皇室は日本学士院にも恩賜賞を下賜している。日本学士院は明治12年(1879)に創設された東京学士会院を前身としており、学術上顕著な功績のあった学者を顕彰するための機関として文部科学省に設置されている。
 恩賜賞は、すぐれた論文、著書、研究業績に対して贈られる日本学士院賞(明治44年創設)の中からさらに選ばれ、授賞式には昭和24年から時の天皇、平成2年からは天皇・皇后がお出ましになっている。受賞者には両陛下に研究成果を説明する機会が与えられる。日本学士院賞受賞者や日本学士院新会員は両陛下主催の茶会にも招かれる。
 平成16年には若手研究者を顕彰し、今後の研究を奨励することを目的とした日本学士院学術奨励賞も創設され、翌17年の第1回授賞式から秋篠宮・同妃両殿下が出席されている。
 また新年の宮中行事として行われている講書始(こうしょはじめ)は、明治2年(1869)に明治天皇が学問奨励のためにお定めになった「御講釈始」(ごこうしゃくはじめ)に由来している。講書始では人文科学・社会科学・自然科学の3分野から選ばれた学界の第一人者が宮殿「松の間」で15分ずつ講義を行い、天皇陛下はじめ皇族方がお聴きになる。
 皇室の方々はさまざまな授賞式や学会に臨席し、おことばを述べることでも研究者を励まされている。特に天皇陛下、秋篠宮・同妃両殿下は数多くの授賞式に定期的に臨席されている。



文化勲章は天皇親授式
 栄典も天皇の名で授与される。日本国憲法第7条において天皇の国事行為に位置付けられているためである。
 栄典には勲章と褒章(ほうしょう)があり、勲章制度は明治8年(1875)、褒章制度は明治14年(1881)に創設された。勲章は国家または公共に対して功労のある者に授与され、褒章は優れた行いや業績のある者に分野別に授与される。これらの中で文化芸術への功績に対して授与されるのは文化勲章・文化功労者、紫綬褒章である。
 文化勲章は昭和12年(1937)2月11日に設けられた。文化芸術などの功績に対する初めての勲章である。当初は数年おきであったが、昭和23年(1948)、毎年文化の日に授与すると閣議決定された。なお、文化勲章の政府原案では桜がデザインされていたが、昭和天皇のご意向から常緑樹である橘の意匠となった。この変更について、昭和天皇は後に「文化というのは生命が長くなければならない、と感じたからです」と説明された。
 昭和26年(1951)には文化功労者年金法が制定され、年金(令和2年現在350万円)が支給されることになった。当初は文化勲章受章者から文化功労者を指定していたが、昭和50年代前半以降は文化功労者から文化勲章受章者を選ぶようになった。
 文化勲章親授式は平成8年までは天皇臨席のもとで内閣総理大臣が受章者に手交する宮中伝達式であったが、翌9年から天皇自らが直接授与する宮中親授式となった。文化功労者は文部科学大臣より顕彰状が授与され、後日、宮殿で天皇陛下よりおことばを賜る。文化勲章受章者、文化功労者ともに両陛下主催の宮中茶会に招かれる。
 紫綬(しじゅ)褒章は芸術や文化、学術研究、スポーツの分野で功績のあった人を対象にしており、昭和39年以降、毎年4月29日と11月3日に発令されている。

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