読みもの

お能の扉、開けといたよ

presented by 月イチ能楽講座 第5回
令和8年2月13日
シテ方・⼤槻裕⼀さん
「お能にしか興味のなかった私のこれまで」#2 幼少期・後編


 中世にさかのぼる伝統芸能である「お能」は、知れば知るほど面白く、人をひきつけて離さない魅力があります。でも、古い時代の言葉づかいや、ゆっくりした抽象的な動きなど、予備知識なしでは難しく感じてしまうことも。
 そんなお能の世界の扉をぐぐっと開いてくれるのが「月イチ能楽講座」です。関西の若手能楽師のホープたちによる、軽妙なトークに迫力ある実演を交えての解説は「わかりやすい!」「楽しい!」と評判。そのメンバーによる本連載。前回に続き「幼少期からずっと、能が大好き」というシテ方の大槻裕一さんに、これまでの歩みを綴っていただきます。


月イチ能楽講座
東京・大阪・京都で毎月開催、毎回お能の1つの曲(演目)を題材に、能楽師シテ方の大槻裕一(おおつき・ゆういち/写真右)、小鼓方の成田奏(なりた・そう/写真左)、大鼓方の河村凜太郎(かわむら・りんたろう/写真中央)が、若いエネルギーとみなぎる情熱、関西ノリの話芸とキレのある技で、たっぷり解説。オモシロ企画満載のインスタグラムも必見。
⚫︎講座のお申込・開催スケジュール・詳細は↓
https://www.instagram.com/noh_once_a_month/



能オタクの子方

 前回に引き続き、今回も私の幼少期のお話です。ここからは、舞台に子方(こかた=子役)として出ていたときのことを振り返ってみます。

 当時は同世代の⼦⽅があまりいなかったこともあり、たくさんのお舞台に呼んでいただき、毎週末のように舞台に⽴っていました。文藏先生が『安宅(あたか)』や『船弁慶(ふなべんけい)』といった、子方が出る曲(演目)をよく上演されていて、さまざまな演⽬に挑戦させていただけて、ありがたい経験でした。子方で出る舞台が近づくと、自宅からも近い大槻能楽堂で文藏先生からお稽古をつけていただきました。

 文藏先生の他にも、錚々(そうそう)たるシテ方(主役)の舞台に子方としてご一緒させていただいていました。子方は舞台上で「ワキ」と呼ばれる役(シテを受ける脇役)の隣にいることが多いのですが、素晴らしいシテ⽅の先⽣⽅の舞台は、横にいらっしゃるワキ⽅の先⽣もレジェンドの⽅々。子どものころからご一緒させていただき、ありがたいことに可愛がっていただいたこともあり、「怖い先⽣⽅」という感覚はありませんでした。


 当時から能オタクだった私の趣味は、能楽に関する資料集めと記録舞台映像を見ること。⼦⽅の舞台のご褒美でいただいた図書券で能楽の本を購⼊したり、⾃宅にある諸先⽣⽅の記録⽤公演ビデオを没頭して⾒たりしていました。それらは今も、いつでも出せるよう⾃分の部屋に保管しています。めったにご⼀緒する機会のない東京の能楽師さんとの共演では「わー!すごい!」とひそかに興奮していました。

 ⼩学校低学年の頃は、憧れの能楽師の先⽣との共演の機会があると、その先⽣のインタビューが載っている本とサインペンを持って「サインください」とお願いしにいくミーハーな⼦でした。⽗が慌てて「やめなさい」と⽌めに⼊ると、相⼿の先⽣がそれを制して、快くサインしてくださいました――今考えると、本番前になんて失礼なことをしていたんだと恥ずかしく思いますが、その恐れ知らずな幼少期のおかげで、貴重なサイン本が私の⼿元に残っています。

待ち遠しかった「番外」の舞台

 年に一度ある父のお社中さん(お素人弟子の方々)の発表会は、私にとって本当に楽しみで待ち遠しいものでした。その発表会には、番組の最後に「番外」として師の子が出ることがよくあり、子どもだった自分がシテとしてお能ができる唯一の機会でした。回を重ねるごとにだんだん欲が出てきて、「こんな演目をやりたい。それも、こんなメンバーでやりたい」という私のわがままなリクエストを、父は嬉しそうに聞いてくれました。

 小学校4年生のときには、能『花⽉(かげつ)』のシテをつとめ、「⾃分がシテで、宝⽣閑(ほうしょうかん)先⽣のおワキで舞台に⽴ちたい」という小さい頃からの夢が叶いました。故・宝生閑先生は子方として何度も舞台をご一緒した尊敬する先生でした。能楽界のスターだった閑先生が、ご多忙にも拘わらずわざわざ東京から来てくださり、ご一緒できたことは、今、思い返してもありがたい宝物のような思い出です。


 そんな能オタクの子方だった自分にも、子方を卒業する時期がやってきました。子方には当然ながら終わりがあり、だいたい声変わりを機に卒業するのが一般的。私の場合は声変わりが比較的遅く、小学校6年生の2月に、故・浅見正州(まさくに)先生がシテの『海士(あま)』で、子方としての最後の舞台に立たせていただきました。


 こうして子ども時代を振り返ると、好きなことを好きなだけさせてくれた環境があったから今があるのだと思います。⼦どもが楽屋に⾏くなんて、⼤⼈からしたら煩わしかったかもしれないのに、丁寧に⾊々なことを教えて下った先⽣⽅、装束や能⾯の名前、どんな演⽬で使⽤するかなど細かく教えてくれた⽗、能に夢中になって学校の勉強ができていなくても叱りつけなかった⺟、能ごっこのビデオを撮ってくれた姉、必ずお客さん役になってくれた祖⺟。改めて、この環境に感謝するばかりです。

 ときには、小学校で流⾏っているテレビやゲームの話題についていけなくて、「どうしよう……」と思うこともありましたが、「休⽇になれば能楽堂に⾏ける!」を⼼のよりどころにして、能楽にどっぶりと浸かった幼少期でした。


#1の記事は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100815

成⽥奏さんの記事は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100769
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