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左官業界のロストテクノロジー今回の取材では「ロストテクノロジー」も話題になりました。
ロストテクノロジーとは、後世に伝えられず失われてしまった高度な技術のことで、現代では再現が困難または不可能なものを指します。たとえ完成品が現存していても、材料が枯渇したり、技術の断絶や記録が消失してしまったため、その製法がわからなくなり、再現できない場合もあります。
有名なものではダマスカス鋼(古代インドで開発された金属)、アンティキティラ島の機械(紀元前1~2世紀に作られた、天体や太陽系の動きを忠実に再現した機械)などが挙げられます。日本にも、厚さ2ミリの銅鐸、慶長元年(1596年)以前に作られていた「古刀」、戦艦大和の3連装砲などがあり、東京タワーの「リベット打ち」という技法も今では再現できないそうです。
左官の技にもロストテクノロジーとされているものがあるのでしょうか。長谷さんに尋ねると、すぐに「秋田県増田町の土蔵群の『黒の磨き』ですね」との返事が返ってきました。
まったく聞いたことがなかったので、この原稿を書くにあたり、調べました。
秋田県東南部に位置する横手市増田町は、古くから東北経済の要衝として栄えた町です。その中心部に、明治から昭和期にかけて築かれた町並みがあります。屋敷の奥深い場所に「内蔵(うちぐら)」を擁する商家が400mほどの通りに40以上も軒を連ねているのです。この町並みは、平成25年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、横手市増田伝統的建造物群保存地区として横手市のシンボルとなっています。

この「内蔵」に施された左官の技が「黒の磨き」なのです。では、「黒の磨き」とはどういう技なのでしょうか。
当連載でも最初の方に書きましたが、通常、左官の工程の最後は「漆喰仕上げ」ですが、建物によっては、普通の白い漆喰を塗った後に黒漆喰で仕上げる場合があります。この蔵造り資料館も最後は黒漆喰の鏡面仕上げで仕上げることになっています。
「白い漆喰の上から、消石灰に油煙(ゆえん)を混ぜてヨーグルト状にした黒ノロを薄く塗って仕上げていくんです」
黒漆喰仕上げは、蔵の作業の中でも難しいものの一つとされています。数ある左官工法の中でも非常に難しい仕上げとされています。
「白漆喰の上から塗るわけですが、白漆喰が乾く前に塗らなくてはならないんです。乾いてしまうと、漆喰の成分の遊離石灰が溶け出して蒸発し、その時に空気中の二酸化炭素と反応して固まってしまう。乾いてしまうと、黒漆喰の黒の発色を守ってくれず、表面が白くなってしまうんです。黒漆喰の効果もなくなります」
白漆喰が乾く前に、壁一面をムラなく漆黒に仕上げることに非常に技術を要するというわけです。
「きれいに塗る技術や経験はもちろんのこと、黒ノロは自分で材料を配合して作るので、ムラなく黒く仕上がる材料を大量に作ることも必要ですし、天気や湿度などにも恵まれなくてはなりません。冬場は乾燥しやすいため、この蔵造り資料館でも、黒漆喰仕上げの作業は令和8年の4月以降を予定しています。でも、増田町の内蔵は、ただ黒の磨きがきれいに仕上がっているというレベルのものではないんです」


増田町の「黒の磨き」
黒漆喰仕上げにもいくつかの工法がありますが、大きく分けると、壁面が鏡面のように光っている鏡面仕上げか、そうでないかの2つに分けられます。長谷さんが言うには、増田町の内蔵の工法は前者で、その壁は「ピアノのようにつやつやに光っている」のだそうです。
「増田町では定期的に内蔵を公開していて、僕は20年ほど前に行ったのですが、あれは本当に衝撃的でした。蔵の壁の前にピアノが置いてあったんですけど、ピアノと壁が同じ光沢を放っているんです」
黒色をした漆喰の壁がつやつやと光っている…。ちょっと想像がつきません。
「あれは実際に見ないとわからないかもしれませんが、目の前で見た時は息を飲みました。そして、昔、あの増田にはそういうレベルの仕事をしていた左官がいたということに思い当たり、愕然としました。黒ノロの成分はわかっているんですよ。でもその比率や、塗り方、仕上げ方がわからない。僕もあの光沢を目指してやってはいるんですけど、できません」
取材後、増田町の内蔵を画像検索し、見てみました。PCの画面越しに見ても、確かにピアノのような光沢を放っているのがわかります。


「あの壁面が人の手と、自然由来の素材だけでできているのは驚くべきことだと思います」
そう語る長谷さんの口調と目は、左官の技への畏敬の念にあふれています。私も増田町を訪れて、内蔵の黒の磨きを見てみたいと強く思いました。そしてこの5月から行われるという蔵造り資料館の黒漆喰仕上げを取材するのが楽しみになってきました。
(次回:5月予定 取材・文/岡田尚子)
その11(前回)https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100842
その10 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100841
その9 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100840
その8 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100783
その7 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100782
その6 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100781
その5 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100780
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その1 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100776