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連載故郷の場所(その1) 神社抜きの復興に復「幸」はない

 私は、神社が東日本大震災からの地域の復興に欠かせないと思っている一人だ。
 なぜか。それにはいくつかの理由があげられるだろう。たとえば、宗教社会学的な立場から「地域社会における、ソーシャルキャピタル」としての神社の存在意義。災害時の避難所という機能、超宗教で地域住民が集まりやすい公共性、おまつりや神事と結びついた伝統芸能の再興を通した被災地域の活性化などだ。
 神社の復興への試みは、だから、人々の心に温かい火を灯すと思われる。
 もちろん、神社が復興したからといって即座に復興が成し遂げられるとか、離散した地域住民が戻ってくるとか、そのような荒唐無稽なことは考えていない。
 そしてもう一つ、「神社の復興」にはとても重要な意味がある。
 それは、神社ぬきの復興を進めることによって、地域から敬神思想が欠落してしまうのではないかという危惧だ。それでは神社界が困るから、という表面上のことではない。そもそも、敬神の思いというものは人智を超越した存在への畏怖を伴うものだろう。人智を超えた存在というのは、神道では「自然」でもある。神を畏怖しないということは、自然を侮る視線に結びつく。それで、「震災に学ぶ」と言えるのだろうか。
 一つの事例がある。某県某所で撮影した2枚の写真を見て欲しい。杉に囲まれているのが平成24年6月24日撮影。神の森の杉が伐採され、丸裸になっているのが平成25年7月30日の写真である。平成25年の取材時には、この神社の両側に住宅が建設中だった。両隣の土地は嵩上げされたが、神社はそのままで、雨が降ると、巨大な水たまりになっていた。
 神社の両側は私有地であるから、持ち主が家を建てることに法的問題はない。また、広大な土地が、住宅建設不可の警戒区域のなかに入れられてしまい、家を建てられる土地が少ない、ということも充分に理解できる。だから、住民を責める気はない。
 しかし、鎮守の杜は消え失せ、住宅地のなかに丸裸の小社が残されているのが現実だ。
 ここで確かに言えることは、存亡の危機に瀕している小社があるということだ。

ライター 太田宏人
(平成27年2月5日掲載)

◎次回は3月1日掲載予定です。(毎月1日に掲載予定です)


平成24年6月24日撮影


平成25年7月30日撮影

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