石巻市立谷川(やがわ)小学校は、明治6年開校という伝統ある学び舎だった。しかし、平成24年3月末日をもって閉校となった。児童や教職員、地域の人たちの無念はいかばかりであろうか。そして、これまで学校を支えていた先人たちも、草葉の陰でさぞや嘆いていることであろう。
平成23年3月の大津波で、海に面しているとはいえ、高台にある谷川小学校は波に飲まれてしまった。地元の人に聞いたところ、みな、校舎背後の二渡神社へ登って難を逃れたそうだ。
しかし校舎は見る影もなくぼろぼろになった。谷川の集落も数軒を残して全滅したという。
そして谷川小学校は、翌24年3月に閉校した。このとき、報道では「震災を受けて」となっていたが、私はおおいなる違和感を覚えた。震災前から、存続が難しいほど児童が減少していたからだ。つまり、閉校は秒読みだった。谷川は鮭が遡上し、鮭漁が盛んだったが、集落は衰退していたという。
同様の事態は、東北の各地で問題になっている。震災はトリガーになったかもしれないが、東北には「過疎」という抜き差しならない課題がもともとあったのだ。
「個性」やら「自分」ばかり重視した教育の結果、いつのまにか「公」はないがしろにされ、「自分」可愛さのあまり子供を育てないことをよしとする間違った風潮まで蔓延した日本。行政は地方を顧みず、地方経済という小さな「公」は常に薄氷の上にある。これらを長年放置してきたツケが、震災であぶりだされている。
…はずなのに、震災前の現状にフタをしたまま進められる「復興」とはなんであろうか。コミュニティーを重視する、神社神道の知恵を活かすときではないのか。
平成25年1月2日、震災以降途絶えていた新春の獅子舞神事が谷川集落の青年たちの尽力によって復活した。隣の集落の旧大原中学校の体育館に谷川の人々が集まり、大漁と無病息災を願い、獅子に頭を噛んでもらっていた。笑顔があふれ、集落のつながりを実感する人々の姿があった。ここには、コミュニティーがある。神事は人を結びつける。
ライター 太田宏人
(平成27年3月1日掲載)