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連載故郷の場所(その7) 故人の御霊の還る場所

 夏といえばお盆。盆(盂蘭盆)は中国起源であり、本来の仏教には先祖供養の思想はない。七夕も、もとは日本古来の棚幡(タナバタ/精霊棚に飾る旗)であろう。
 棚とは、盆に飾る精霊棚だ。精霊棚は無縁仏の還る場所、とも言われているが、これは元来、祖霊(先祖の霊)の帰り来る坐だろう。しかし、仏壇が普及し、祖霊は仏壇へ還ることになって、いつの間にか精霊棚が無縁仏の坐と説明されたのであろう。
 今も、夏に棚経をするために僧侶が家々を回るが、多くの人が「ご先祖のご供養」と思っているのではないだろうか。
 そうして東京あたりではもう精霊棚を飾らなくなってきているので、僧侶は仏壇に向かって拝むわけだ。これはまるで、月参りのご供養である。
 迎え火には多くの地方で松が使われる。まさに松明だ。これは正月の門松と同じで、神霊を迎え入れるシンボル、または依り代に比定できるかもしれない。柳田國男の説を引用するまでもなく、正月と盆は、神もしくは祖霊を迎える日本古来の祭祀なのだということが分かる。
 沖縄には、日本の古い習俗にあい通じるものが継承されているのだが、ちなみに、沖縄では七夕がお盆の行事として今でも重要視されている。 
 お盆の起源はともかく、迎えてくれる家を喪った祖霊は、どこへ還るのだろうか。
 還る場所があっても、迎えてくれる人のいない祖霊は、どうするのだろうか。
 昨年公開されたドキュメンタリー映画『波あとの明かし』(坂下清監督)によれば、岩手県宮古市では港の岸壁でも迎え火を焚くという。暗い海上から眺めれば、さぞかしその迎え火は煌いて見えることだろう。なぜ、岸壁で迎え火をするのだろうか。津波に流された方々は海から還ると信じられたのか、それとも海上他界の信仰に由来するのだろうか。いずれにせよ、幾度も津波に襲われてきた土地ならではの風習といえそうだ。
 震災で亡くなられた方々が、迷わずに家族の住まう仮設住宅や新しい住居の仏壇や精霊棚へとたどり着くことを願って已まない。
 お盆休みには多くの人が家郷をめざす。そして、墓参りをする。何はなくとも墓参りだけは欠かせない、と考える人もいるだろう。
 だが、今次の大津波で数多くの墓地が流されてしまった。今でも墓石が転がったままの場所もあれば、復旧が進んだところもある。散乱する墓石が取り除かれ、更地になったところもある。
 墓地の整備は故郷の再建にとって重要な要素である。津波被害を受け、警戒区域となった場所では町は再建できない。しかし、多くの避難民にとって、そこは今も故郷である。同じ場所に町を再建できなくても、心象の故郷の再建は可能なのだ。宗教宗派を超えた存在である墓地は、その中核を成し、その土地の出身者の心を支えるに違いない。
 福島県南相馬市原町区下渋佐は全戸が流出し、鎮守である八坂神社も流された(東京の大國魂神社他の支援を受けて小社殿が新築され、平成24年9月に復興遷座祭が行なわれた)。
 この神社の横に、平成26年、「下渋佐仮墓地」が開設され、流された墓石や墓碑、石仏墓など170超が並べられた。地元行政区長によれば、「お盆とお彼岸に間に合うように」夏前に僧侶によって仮墓地の開眼供養が行なわれたという。
 町の再建もまったく進まない状況にあっても、仮でも何でもとにかく墓地を再建することを、土地の人々は選んだのだ。
 そして本年夏前にも、やはりお盆に間に合うように仮墓地の近くに正式な共同墓地の整備が進められた。
 震災後の人口流出が多くの被災地で深刻だ。なかには先祖の墓を「移住先」の都会へ改葬した人がいる。その人はもうその場所へ帰らず、帰省もしないかもしれない。そして、先祖はかつて還っていた場所を見失う事態にもなりかねないのかもしれない。「移住先」でも、先祖供養は継承されるのだろうか。さまざまな事情から「移住」を選択せざるを得なかった人々へ、宗教的なケアが行き届くことも心から祈念したい。
 東北は、5度目の夏を迎えた。
ライター 太田宏人
(平成27年8月1日掲載)



南相馬市原町区下渋佐の仮墓地。後方に見えるのが八坂神社。(平成27年1月1日撮影)

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