みんな出て征く山の青さのいよいよ青く 山頭火
この句は、山頭火(明治15~昭和15年)の最晩年の句集「銃後」に収められている。
日中戦争にともない、送還された遺骨や遺族への慈愛に満ちた視線と、生死の実相をすでに透徹したかのような眼差しが印象的な句集である。その中の一句である。
男たちが出兵し、女性や子供、高齢者が目立つようになった里。そこを乞食(こつじき)して歩く山頭火は、里の活気の低下を「山の青さのいよいよ青く」と表現した。
私が福島県の被災地、そして宮城県や岩手県の、震災後に過疎となった集落を移動して回るときに抱く感慨は、山頭火の言葉そのものだ。
もちろん、被災地からの人口減少は、出兵が理由ではない。
震災によって過疎に拍車が掛かったり、放射性物質というものに追い立てられたり、行政による区画整理によって、強制的に立ち退きを迫られたり、という理由である。
福島県の飯舘村は、原子力災害を受けて、全村避難が4年も続いている。すでに、幹線道路ではない細い道には雑草が生い茂っている箇所もある。一部地域を除いて、日中の立ち入りは可能であるし、飯舘村は福島市と海岸線を結ぶ交通の要衝だから、交通量は少なくはない。しかし日中でも、車が通らないときには、アスファルトの上を悠然とサルやイノシシがまかり通り、廃屋のようになってしまった家々にはネズミやハクビシンが住み着いてしまっている。まさに狐狸の住まいである。
同じような状況は、福島県内いたるところで見受けられる。福島第一原発の周辺地域では、いまだに津波の爪あとが生々しい家屋がそのままになっているところもある。
そして毎回思うことは、堤防が破壊されたままではあるが、沿岸部の美しさである。悔しいほどに、風景が美しいのだ。美しさに圧倒される。
人がいてもいなくても、自然はそこにある。ということは、人はやはり、自然の恩恵のうえに生かされている存在なのだ。人が自然を支配するなど、おこがましい考えなのかもしれない。
誰もいなくなった風景の、悔しいまでの美しさを私は忘れることができない。この風景のもつ美しさは、人智を越えた存在の存在を連想させる。神々しいとさえ感じられる。
全町に出ていた避難指示が、平成27年9月5日(土)0時に解除された楢葉町。その木戸川河口の風景も恐ろしいほどに美しかった。
インフラも商業・医療・教育・行政施設も整わず、産業を復興させられない状況で、いったいどれだけの人が「帰還」を果たせるのか分からない。この段階で、イデオロギーや政治的な主張のみで「帰還」を叫ぶことはあまりに空しい。しかしながら、神社や寺院、墓地などの「心のよすが」をどうするかに関しては、「将来の住民の帰還」を待ち続けるわけにはいかない。
失われてからでは、取り戻せないかもしれない。
「山の青さのいよいよ青く」とならないためには、自然の脅威をしっかりと感じながら、故郷の核を守り、伝えていかねばならないだろう。
この核が失われた状態で、人はどこへ「帰還」するというのだろうか。
ライター 太田宏人
(平成27年9月3日掲載)