■『災害支援ハンドブック』
『災害支援ハンドブック~宗教者の実践とその協働~』(編集:宗教者災害支援連絡会、責任編集:蓑輪顕量、稲場圭信、黒﨑浩行、葛西賢太/平成28年6月、春秋社)を読んだ。
内容は、タイトルの通りである。
平成23年に発生した東日本大震災は戦後最大規模、未曾有の大災害であった。それにともない、宗教者による支援活動も過去最大の規模となり、現在もそれは継続されている。
本書では、今次の大震災での宗教者による支援活動が具体的に紹介されている。災害発生時の活動において、①宗教者(もしくは宗教)ができる支援、②誰にでもできる支援ではあるが、あえてそれを宗教者が行なうことの意味――、などについて考えさせられることが多く、示唆に富む内容だった。
また、國學院大學神道文化学部・黒﨑浩行教授は、宗教学者による災害支援、とくに震災を機に、平成23年4月に立ち上がった宗教者災害支援連絡会(宗援連)の軌跡を紹介している。宗援連は、宗教施設による被災者、避難者の受け入れのための情報の共有に力点を置いた活動などを展開してきた。黒﨑氏は、宗援連の世話人の一人。
■■「まつり支援は復興支援」
同書に収録された神道関係者の記事としては、阿部明徳氏(東京都台東区・下谷神社宮司)の「被災地のまつり復興に向けて」、藤波祥子氏(宮城県山元町・八重垣神社宮司)の「一被災者として」がある。各所が納得する人選ではないだろうか。
阿部氏は、震災直後から被災神社に対する支援活動を継続している。その行動の根本には「神社は、地域社会の再生の核になります」「心の拠り所・鎮守の杜の復興なくして故郷の再生はない」という思いがあるという(『SOGI』124号、平成23年)。
今回の『災害支援ハンドブック』において阿部氏は、震災直後の活動当時に現地から仲間たちへ出したメールを掲載した。当時の緊迫感がひしひしと伝わるメールである。阿部氏は、阪神淡路大震災(平成7年)での支援活動を通して、「神社」という存在そのもの、その構成要素である「拝礼施設」、象徴たる「鳥居」の重要性を熟知したという。そこで、最初期の物資支援の後には、小社殿・仮社殿および簡易鳥居の設置、神輿などを寄贈する活動へとシフトしている。寄贈品に関しては、再利用や新品などを全国各地の有志から譲り受けるだけではなく、自らも費用負担し、被災地へ届けてきた。また、宮城県名取市閖上や福島県いわき市久之浜での「まつり支援」も継続している。
平成28年4月現在での活動実績は、以下のようになっている。
・装束類内訳=袴139、狩衣52、足袋857など
・仮社殿および小社殿56
・鳥居54
・賽銭箱30
・石燈籠1
・手水水盤1
・神輿内訳=成人用5、子供用19
・山車4
・太鼓7
・7m級小型船4
・漁船1
・縁日(おまつり)支援=閖上4回、久之浜3回
阿部氏は、報告する。
「被災地の元気を取り戻すにはまつりの再興が一番。地元を離れてしまった人々や仮設住宅の人たちも神社に集まってくるし、子供たちも笑顔になります。お年寄りが神輿に手を合わせ、涙を流している姿が目に焼き付いています」(『災害支援ハンドブック』38ページ)
■■■被災神職として
一方、藤波氏は被災神職としての立場から、抑揚ある文章を綴る。
そのなかで、とても印象に残った一文がある。やや長くなるが、「被災地」「被災者」の現実と、藤波氏の心情を如実に表していると思われるゆえ、以下、引用する。
「(八重垣神社の周辺に住んでいた被災者は)自然を相手にする生業である(中略)。自然とはどういうものか、ということはしっかりDNAの中に刻み込まれているに違いない。大きな災害に遭っても、海を恨まず、自然を恨まず、震災後も震災前と同じように、毎朝お天道さまと氏神さまとを拝む人たち。流された社殿の跡地で、何もなくなった空間に向かい手を合わせる人々(後略)」
被災した氏子が芋の植え付けに向かうたくましい姿、「みんなが笑顔になるために、まつりをやろう!」と語る氏子。明日の自分たちの生活、コミュニティーの未来など思い描けなくても、いまを、黙々と、淡々と、しなやかに、粘り強く、裡に熱いものを秘めながら、生まれ故郷に根を張って生きる人たち。神社も自宅も氏子区域も何もかも流された藤波氏は、彼らの姿に、「私自身がどんなに勇気づけられたことか」と述懐する。それは、嘘偽りのない感情の吐露なのだろう。
一方で、街に暮らす人たちは「なんで、あんな怖いところにもう一度住みたがるのだろうか」と訝るという。
私も取材の中で、「怖い海への嫌悪感」を述べる人たちに何度も出合っている。
その感情も、決して否定されるものではないのだろう。
しかしながら、災害列島に住まう大和民族のDNAに刻まれた自然観というものは本来、自然=神々からの脅威と恩恵の二面性を均等に認めてきたのではないだろうか。
なければ、繰り返される津波や高潮にもかかわらず、人々が海辺に住み続けてきた理由が見えてこないと思われるのだ。
■■■■空を見上げているか
農業や漁業に携わる人々は、毎朝、毎夕、空を見上げる。
朝焼け、夕焼け、雲の形、風の音、体感気温の変化から天気を読み、仕事への影響を考える。日の出や日の入りの位置から、仕事に関わる季節の移り変わりを知る。
毎日、自然を観望する人々は、おのずと自然=神々の息吹を感じるのだろう。感じることが、生活の一部なのだ。
藤波氏が書くように、彼らは、神々からの恩恵と脅威を感覚的に知っている。だからこそ「自然を恨まず」「海を憎まず」と言い切れるのだろう。
しかし、街に生きる人々は、テレビやネット、スマホで天気予報を見る。空を見上げて、天気を読む人がどれだけいるだろうか。天気予報のデータの元になっている自然の力強さ、美しさ、怖さに直接触れる機会は、少ない。
私もそうだが、街に生きたり自然と直接繋がらないで生きる人々は、神の荒ぶりを腹で感じ、受け止めることが難しいのかもしれない。
藤波氏は、述べる。
「先祖代々暮らしてきたそれぞれの家や屋敷、地域はたんなる『場所』ではない。たとえ津波が来ようが(中略)、捨てきれない。自分の生の原点ともいえる空間なのである」
そこには氏神様がおわす。その場所を、人は故郷と呼ぶのだ。
故郷を離れて暮らす人で、ふとした瞬間に海鳴りが、風に揺れる木々の葉ずれの音が、耳朶に響いたという経験をした人はいまいか。人は故郷を離れるが、故郷は人を愛し続けるようだ。
被災神社を核に見据えた復興支援は、「故郷再生」の取り組みである。
他人事のような視線で被災地を観光し、「なんでこんなところに住みたいのか」と思うような人には、「こんなところ」を故郷とする人の気持ちは、分からないだろう。
神社の復興の意味について、お二人の文章は「原点」を指し示している。
ライター 太田宏人
(平成28年7月27日掲載)