「蒲葵(びろう)」という植物をご存知でしょうか?
下枝のない幹が直立し、その上部から、大きな葉が手のひらを広げたように垂れ下がっている、南国情緒いっぱいの植物です。
この蒲葵は、海積宮(わたつみのみや)から還幸された山幸彦の宮居跡とされる青島神社(宮崎市鎮座)に、樹齢300年に及ぶ大群落があることでも知られています。
蒲葵は古来、非常に神聖な植物とされてきました。その最たる証として著者は、大嘗祭に先立ち行われる御禊(ごけい)が、かつて京都の鴨川で行われていた頃、天皇陛下の頓宮として川原に設置された百子帳(ひゃくしちょう)という仮屋の屋根が、この蒲葵で葺かれていたことをあげています。
この本は、
「この蒲葵の葉こそ日本の扇の祖ではなかろうか?」
と考えた著者が、民俗学的見地から調査研究を重ね、その過程を記録したものです。
昭和45年に初版、昭和59年には再刊、そして令和3年に再々刊されました。
「扇の起源」を追う著者は、昭和43年から翌年にかけて、扇に関係する神社や神事を訪ね、北は山形県から南は沖縄県まで旅しました。
そして、蒲葵が、琉球祭祀の斎場である「御嶽(うたき)」の御神木であるという事実に辿り着くのです。
著者は、日本の古い神社において「扇が主役を演ずる」お祭りの場合、扇を「蒲葵の代用」として神事を行っていると解釈できるとし、「扇祭りは蒲葵を神木として信仰した種族が伝えた祭典と推測される」と記しています。
著者はまた、平城宮跡から発掘された扇、佐太神社(島根県松江市鎮座)の神扇、美保神社(同鎮座)の長形の扇の形状や素材なども調査、分析しています。そして、いずれの扇も「あおぐものとしての機能」は認めにくく、植物の葉のように開いていることに重要な意味があったものとし、「蒲葵の模擬」として奉製されたものであると考察しています。
更に著者は、当時の人々が蒲葵を模倣して奉製してゆく中で、一枚一枚木片で葉の形を作り、かなめを止めるなどしているうちに、図らずも、今日のような「摺畳扇(しょうじょうせん/摺り畳める扇)の原型ができてしまった」のではないかとも推察、「ただひたすら神聖な蒲葵の葉の模倣に心を砕いた何人かの無心の作にその(摺畳扇の)起源をおくと思う」と記しています。
世界中に拡がっていった「摺畳扇」が、日本の発明品であることは周知の事実ですが、その特徴的な形状にこそ、祖先たちが太古の昔から行ってきた神祭りの手ぶりと祈りが籠っているといえるのでしょう。
「扇を考えるときにもっとも注意すべき点は扇に付与されている神聖性である」
著者はこう記しています。
さて、7~9世紀、日本国内には既に、中国由来の団扇(うちわ)と南方由来の檳榔扇(びろうおおぎ)が存在したといわれます。中国由来の団扇がアクセサリー的な扱いであったのに対し、檳榔扇は軽量で耐久性があり、「暑気払いの具」としても重宝されていたといわれます。
蒲葵は、「実用扇、呪物扇の両者の祖」といえます。
神聖な亜熱帯植物・蒲葵と、日本の扇のルーツが、本著で高遠につながり合います。
(日本文化興隆財団 阿部めぐみ)
『扇 -性と古代信仰』
著者:吉野裕子
発行:人文書院