皇室WEB

秋の美しい日に訪れたい『旧御用邸』

『皇室』バックナンバーより 第1回
令和7年7月23日
暑さの厳しい夏には北の地に涼をお求めに、また冬には温暖な地へご静養に。
明治以降、歴代の天皇・皇后両陛下をはじめ皇族方が滞在を楽しまれた旧御用邸。
そのうち、日光田母沢御用邸、塩原御用邸、葉山御用邸付属邸跡地、
沼津御用邸は、現在、一般に公開されている。
平成14年にこれら4つの旧御用邸を取材した記事を簡単に紹介する。

(第16号より)

*この記事ではデータを令和7年7月当時のものに更新し、『皇室』誌掲載時以降の情報も紹介しています。

【日光田母沢御用邸】
大正天皇が毎夏を過ごされ、上皇陛下も疎開された御用邸

 豊かな自然と冷涼な気候、そして神社仏閣などの文化的遺産から国際的リゾート地として古くから広く愛されてきた日光の地。日光田母沢(たもざわ)御用邸は、明治32年、嘉仁親王(よしひとしんのう/大正天皇)のご静養地としてこの地に建造された。
本邸は地元出身の銀行家、小林年保(ねんぽ)の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、そこに新たな建造部分を加えたもの。その後、大正7年(1918)に大規模な増改築が行われ、同10年(1921)に現在の姿となった。
 大正天皇が毎夏のように訪れられたほか、別邸は三笠宮崇仁(たかひと)親王が好んでご滞在。また上皇陛下が学習院初等科5年生から6年生にかけての約1年間をこの地で過ごされるなど、昭和22年(1947)に廃止されるまで、多くの皇室の方々に利用された。戦後に博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県が3年の月日と30億円の費用をかけて復元。平成12年(2000)に本邸の主要部分と庭園が一般公開されるようになり、記念公園として蘇った。
建物は江戸、明治、大正とそれぞれの時代の特徴的な建築様式を持つ集合建築群で、敷地面積は約1万1900坪(3万9390㎡)、延べ床面積は約1350坪(4471㎡)。国内最大級の木造建築である。ちなみに造営時の敷地は約3万2000坪(10万7000㎡)と、実に広大なものであったという。
13の内庭を抱えるように広がる本邸は、用途や建造時代の違いによって趣を異にする全106室からなる(公開は主要部分のみ)。謁見所や表御食堂など公的な部分は、和風建築の作りと、絨毯やシャンデリアを用いた内装が見事な調和を見せる。また表御座所や御寝室など、かつて旧紀州徳川家江戸中屋敷だった部分には杉戸絵や墨画が今も残る。ほかにも職人芸が活かされた各部屋の飾り金具や欄間の細工、伝統的な手作りガラスの窓、その窓から見える風流な庭……。ここには春夏秋冬いつ訪れても心豊かな時間を過ごせる空間が広がっている。
なお、本邸は平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、公園としても平成19年(2007)に「日本の歴史公園100選」に選定されている。

日光田母沢御用邸記念公園
公式サイト:https://www.park-tochigi.com/tamozawa/
住所:栃木県日光市本町8-27
電話:0288-53-6767
開園時間、休園日、料金などの詳細は上記公式サイトに掲載

日光田母沢御用邸記念公園


【塩原 天皇の間記念公園】
三笠宮の愛された塩原の地。御座所が原形のまま保存されている

 そびえたつ緑豊かな山々と、清々しい渓流の景色が美しい塩原。1100余年前に温泉が発見されて以来、出湯の地として名高いこの地に、塩原御用邸が造営されたのは明治37年(1904)のこと。栃木県令、三島通庸(みちつね)の別荘がそのもととなっている。
 この御用邸は嘉仁(よしひと)親王(大正天皇)のご静養のために作られたものだが、昭和天皇とその弟宮もたびたび訪問し、なかでも三笠宮崇仁(たかひと)親王は約10年間にわたって、ここで夏休みを過ごされるほど愛用された。また香淳(こうじゅん)皇后が昭和天皇とのご婚約直後に妹君とともに訪れたという記録が残っているほか、戦中は昭和天皇の内親王の疎開先ともなった。
 戦後の昭和21年(1946)、御用邸が廃止されてからは視覚障害者のための訓練施設として用いられ、改築を重ねた。しかし、「天皇の間」と尊号されていた御座所のみは原形のまま保存。昭和56年(1981)、もとの御用邸からほど近い現在の地に移築され、一般公開されるようになった。
 御座所の面積は251.6㎡。田の字に仕切られた4室の周囲を入側(いりがわ/座敷と外縁側の間の縁側)が囲み、その外側に板縁が位置する。建物は本格的数寄屋造で、屋根は銅板平葺(ひらぶき)、破風(はふ)のゆるやかな勾配に風格が感じられる。また、邸内に再現された建造当時のミニチュアからは、元の御用邸の広大な様子を偲ぶことができる。
 邸内に天然温泉をひいていたというエピソードもある。近くに来た際には、今も変わらぬ塩原の名湯に浸かって歴史を感じたい。

塩原温泉 天皇の間記念公園
公式サイト:https://www.city.nasushiobara.tochigi.jp/soshikikarasagasu/tsuishin/sio/kankoshisetsu/2254.html
住所:栃木県那須塩原市塩原1266番地113
電話:0287-32-4037
開園時間、休園日、料金などの詳細は上記公式サイトに掲載

【葉山しおさい公園・博物館】
大正天皇が崩御時、劍璽渡御の儀が行われた「昭和発祥の地」

温暖で明るく美しい山と海の景色が広がる葉山の地。明治27年(1894)、この地に江戸時代最後の孝明(こうめい)天皇の女御(にょうご)、英照皇太后(えいしょうこうたいごう)の保養先として葉山御用邸が建造された。現在も皇室の方々が過ごされる本邸である。大正8年(1919)には、三笠宮邸として葉山御用邸付属邸が竣工された。敷地面積は約5500坪であった。
昭和59年(1984)、この付属邸跡地が葉山町に無償貸与され、同62年(1987)から葉山しおさい公園として一般公開されている。三ヶ岡山(さんがおかやま)を借景とした日本庭園には、流れ落ちる「噴井(ふけい)の滝」がある。茶室一景庵や潮見亭などの施設もあり、公園裏手の一色海岸からは富士山や伊豆半島、大島などが一望できる。
 実はこの付属邸は「昭和発祥の地」として知られている。大正15年(1926)8月、療養のために葉山を訪れた大正天皇は、関東大震災のために本邸が被災したため、付属邸にご滞在。そして同年12月25日、崩御(ほうぎょ)されると、ただちにこの付属邸で皇位の印である「劍璽渡御(けんじとぎょ)の儀」が行われ、昭和天皇が践祚(せんそ/即位)されたのである。
 その付属邸の御車寄(おくるまよせ)を移築したのが、葉山しおさい公園の中にある葉山しおさい博物館の入り口である。
 この博物館のテーマは、相模湾でみることのできる海洋生物。展示の中心となっているのは、海洋生物の研究を続けられた昭和天皇から下賜された標本である。なかでもライフワークとされた腔腸動物ヒドロ虫類の資料は多く、昭和天皇が発見された新種などの貴重な標本も拝見できる。
なお当公園は大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地として町の史跡に指定されている。

葉山しおさい公園
公式サイト:https://www.town.hayama.lg.jp/soshiki/shougaigakushuu/2/2/7822.html
住所:神奈川県三浦郡葉山町一色2123番地の1
電話:046-876-1140
開園時間、休園日、料金などの詳細は上記公式サイトに掲載

葉山しおさい博物館
公式サイト:https://www.town.hayama.lg.jp/soshiki/shougaigakushuu/2/1701.html
住所:神奈川県三浦郡葉山町一色2123番地の1
電話:046-876-1155
開園時間、休園日、料金などの詳細は上記公式サイトに掲載

【沼津御用邸記念公園】
大正天皇が昭和天皇と一緒に過ごされた思い出の御用邸

沼津は目の前に駿河湾を望み、背後には富士山をいただくという素晴らしい立地に加え、東京より数度基音が高いという温暖さを兼ね備えている。明治22年(1889)に東海道本線が開通すると、明治中期には避寒のための別荘地として注目されるようになった。 
 沼津御用邸は、明治26年(1893)、嘉仁(よしひと)親王(大正天皇)のご静養のために本邸が建造された。同33年(1900)に洋館の本邸が増築。同36年(1903)には、皇孫殿下(昭和天皇)の御学問所として東附属邸が作られ、その2年後にはやはり皇孫殿下の御用邸として西附属邸が整えられた。広大な敷地には牛舎や厩舎、馬場も備えられていたという。
 ところが昭和20年(1945)7月の沼津大空襲で本邸が消失。以後は西附属邸が本邸としての役割を果たしてきた。
 昭和44年(1969)、御用邸が廃止されて沼津市に無償貸与されると、翌年から沼津御用邸記念公園として開園した。造営100年にあたる平成5年(1993)、本格的な改修事業が開始され、同8年(1996)には西附属邸を細部に至るまで可能な限り忠実に復元、現在では往時の雰囲気を伝える御殿内部を観覧できるようになっている。東附属邸の庭園部分、本堤跡地に建つ歴史民俗資料館も公開されている。
 昭和44年に廃止されるまでの77年間、この御用邸は皇室の方々に愛されてきた。皇太子時代の大正天皇はこの御用邸で過ごされる時間が長く、昭和天皇とここでご一緒に過ごされることも多かったという。大正天皇と昭和天皇は、昭和天皇が生後3か月から離れて暮らされていた。この地での日々はお二方にとって心温まるものであっただろう。
 昭和19年には、上皇陛下が日光田母沢御用邸に移るまでの疎開先となった。平成6年(1994)、改修後にこの地を訪問された上皇陛下は、なつかしき日々を偲ばれたという。
 この御用邸の最大の見どころは、約1万㎡の敷地に建つ総面積1270㎡、部屋数26室の木造平屋建てである西附属邸の見事な再現ぶりである。かつて使われていた家具や備品がそのまま保存、配置されていることに加え、独特な意匠の金具や飾り金具、モダンな照明、絨毯など、改修部分のそこかしこにも伝統的な職人的技法を見ることができる。手作りのガラスは、改修当時の日本にはその技術がなく、ドイツに特注したというエピソードもある。
 窓の外にも素晴らしい光景が広がる。西庭は、苔を海に、岩を島に見立てた見事な苔庭。現在の両陛下のご成婚記念として整備された梅林もあれば、潮風を肌で感じながら散策できる芝生広場もある。
 この公園は、平成18年(2006)、都市公園法施行50周年記念事業において「日本の歴史公園100選」に選ばれ、同28年(2016)には「旧沼津御用邸苑地」の名称で国の名勝に指定されている。ぜひ足を運んでいただきたい。

沼津御用邸記念公園
公式サイト:http://www.numazu-goyotei.com/
住所:静岡県沼津市下香貫島郷2802-1
電話:055 -931-0005
開園時間、休園日、料金などの詳細は上記公式サイトに掲載
沼津御用邸記念公園



『皇室』16号では、詳しい内容と豊富な写真をお楽しみいただけます
お買い求めは→https://www.nihonbunka.or.jp/item/detail/100087
ページ上部へ移動