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企画展示「野村正治郎とジャポニスムの時代―着物を世界に広げた人物」
令和7年11月20日

日本の美しい染織品として世界でも知られる着物。欧米でジャポニスムが隆盛した時代、着物を世界に広める一翼を担ったのが、西洋人を顧客とする美術商として活躍した野村正治郎(のむらしょうじろう/1880~1943)でした。国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)では、近世の着物の一大コレクターでもあった野村正治郎が築き上げた服飾品・装身具のコレクションで、同館を代表する収蔵品のひとつである「野村正治郎衣裳コレクション」とともに、正治郎の生涯を振り返る展覧会が開催中です。着物ファン垂涎の展覧会の様子をお届けします。

展覧会の第1章では、美術商としての野村正治郎の活動にスポットを当てて紹介されています。アメリカで美術を学び、帰国後、京都で染織品を扱う商売を営む母から事業を受け継いだ正治郎。海外進出にあたり、彼が西洋人顧客に対して、いかにきめ細やかな対応をし、どんな工夫を行ったかがわかる資料などが展示されています。

思わず「かわいい!」と口走ってしまったのが、正治郎が経営していた野村商店の西洋人向けの英文ビジネスカード。西洋人のジャポニスム愛に響くデザインで、日本旅行の記念品として持ち帰る西洋人も多かったよう。

展覧会の第2章では、正治郎のコレクターとしての活動が、貴重なコレクションとともに紹介されています。展示されている逸品ぞろいの約30点の着物資料から、いくつかをピックアップして紹介していきましょう。

まずは、江戸琳派の祖として知られる絵師・酒井抱一(さかいほういつ/1761-1829)の筆による「梅樹下草模様小袖(ばいじゅしたくさもようこそで)」です。一本の花盛りの紅梅の立ち木が、白繻子(しゅす)地に筆でダイナミックに描かれており、これはまさに「着る日本画」でしょう。裾まわりに描かれた下草の緑やタンポポの黄色がアクセントになっています。鳥取藩主池田家に伝来し、大正期の入札会に出品されて正治郎のコレクションに加わったもので、重要文化財に指定されています。

正治郎の酔狂なコレクターぶりがうかがえるのが、東西の名所を描いた着物にまつわるエピソード。江戸名所模様の着物を所蔵していた正治郎は、これと対になる京名所模様の着物を探し求め、ようやく某所から譲り受けることが叶います。念願の着物を手に入れるにあたり、正治郎はこれを東男と京女になぞらえ、なんと婚礼式を執り行うことにしたのです。昭和7年(1932)4月25日、京都の一流料亭を会場に、美術商の友人夫妻を媒酌人として行われた式には、正治郎と交友関係にあった有職故実(ゆうそくこじつ)や染織美術の専門家らが出席。新郎新婦(になぞらえた着物)の前途を祝して謡われたのは、定番の謡曲「高砂」ではなく、出席した図案家・染色家の上野清江(せいこう)作の謡曲「友禅」であった――という内容の記事が、当時の業界紙に出ています。正治郎の喜びようが想像されますが、出席者も喜々として参加したのでしょうね。

大きな束熨斗(たばねのし)が大胆に表された豪華な振袖。「江戸時代の染織技法の集大成」「友禅染の着物の代表作品」ともいわれる作品で、図版などで見たことがある人も多いのでは? 熨斗と熨斗を束ねる水引(みずひき)の輪郭線には、緻密な金駒(きんこま)刺繍が用いられ、重厚感たっぷり。熨斗の輪郭の内側部分は友禅染(ゆうぜんぞめ)や摺匹田(すりひった)、刺繍、金摺箔(きんすりはく)などのさまざまな技法を駆使し、花鳥や幾何文が繊細に表されています。この振袖、もとは正治郎の所蔵品で、当時アメリカの大富豪ロックフェラー2世が気に入り、購入を希望したもの。正治郎はこの作品が京都の染織界にとって重要であることから販売を断りますが、ロックフェラーから「この振袖を京都のために寄贈したい」と高額の小切手を送られたことに感銘を受け、小切手は返したうえで、自ら友禅染関係者の組織である友禅史会に寄贈することにしたのです。自らの所有欲のみにとらわれず、着物を誇るべき文化であり、人々の共有財産として捉えるコレクターの心意気を感じます。

淀川の風景模様の振袖は、今回が約100年ぶりの公開。正治郎が自身の研究をまとめた書『友禅研究』にもこの振袖が口絵のカラー図版として掲載されていますが、戦後に所在が不明となり、最近になって再発見されたのだそう。全体が上下に松皮取りに区切られ、上は紅地に杉木立の模様、下は白地に淀城や淀大橋、淀の水車など、かつての淀川の名所の模様が、友禅染と刺繍で表されています。上下がまったく脈絡のなさそうなモチーフなのが不思議な印象で、上は静的、下は動的と模様の表現の仕方も対照的です。淀川の風景の中には、舟に乗って川を行き交う人物などが細かく表現されていて、つい引き込まれます。現代とは異なるその景色に、往時の風俗を垣間見る思いもします。

正治郎が入手する以前、日本画家・下村観山(しもむらかんざん/1873-1930)の着物コレクションだったという振袖がこちら。牡丹唐草模様の紋縮緬地を、肩は紺、腰は白、裾は鬱金(うこん)に染め分け、それぞれに千鳥、松と波間に浮かぶ帆船、貝と藻が、友禅染と刺繍、描絵で表されています。千鳥も帆船も貝も、近づかなければそれとわからないほど小さく描かれているのが心憎いところ。格調高い画風で知られる観山が好みそうな、気品漂うデザインです。

古典文学ゆかりのモチーフは、着物の意匠の王道かもしれません。こちらの振袖は、白綸子(りんず)地に、杜若(かきつばた)と武官の冠に付ける緌(おいかけ)、業平菱(なりひらびし)と呼ばれる幾何文が刺繍と摺匹田で表された、『伊勢物語』第9段「八橋(やつはし)」に取材した意匠です。三河国八橋は、主人公・在原業平が東国へ下る途中に立ち寄った杜若の名所。業平菱は業平が好んだとされる文様ですが、水辺に架かる「八橋」に見立てられてもいると思われます。

着物の重要性を訴え、未来への継承に情熱を傾けた正治郎が、断片として残る着物を保存・公開するために考案したのが「時代小袖雛形屛風(じだいこそでひながたびょうぶ)」です。これは衣桁(いこう)に架かったかたちで着物の裂(きれ)が貼装された屛風で、下の写真の例では、江戸時代中期の2つの着物の裂が使用されています。たしかに、こうして屛風に仕立てられると、立派な美術作品として鑑賞でき、平面作品でありながら、実際に衣桁に架かっているような立体感と奥行きも感じられます。「たとえ断片であっても、できるかぎり美しく見せたい」という着物愛に溢れた工夫です。

関連展示として、正治郎の後継者である野村賤男(しずお/1902-1987)の活動についても紹介されています。戦後、賤男一家がアメリカに移住したことにともない、正治郎のコレクションの主要な一群はアメリカに渡ってしまいましたが、国立歴史民俗博物館の設立に際し、文化庁が流出したコレクションを買い戻し、館蔵品となった経緯があります。それはまた、正治郎のコレクションが国として大切に継承すべき貴重な歴史文化財であることの証でもあるでしょう。
正治郎の情熱と着物の美に圧倒される展覧会でした。

企画展示「野村正治郎とジャポニスムの時代―着物を世界に広げた人物」
会期:2025年10月28日(火)~12月21日(日)
[前期:10月28日(火)~11月24日(月・休)/後期:11月26日(水)~12月21日(日)]
会場:国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)
※詳細は下記公式サイトへ
https://www.rekihaku.ac.jp/event/2025_exhibitions_kikaku_nomura.html




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