読みもの
和紙、陶磁器、漆工芸、竹細工など、私たちの暮らしを支える「匠の技」を紹介する当連載。第1回の「桐箪笥の匠」に続き、第2回は和の建築に欠かせない「左官の匠」の登場です。第2回 左官―和の建築美を支える技
左官(日本壁)はユネスコ無形文化遺産
今回、登場してくださるのは、あじま左官工芸(https://ajimaart.co.jp/)の長谷清高(ながたにきよたか)さんです。

長谷さんは、優秀な技術・技能を有し、後進の指導・育成等に多大な貢献をした建設技能者として令和6年度「優秀施工者国土交通大臣顕彰」を受けた建設マスターです!


長谷さんのことを紹介する前に、左官の仕事について知っておきましょう。ご承知のように、左官とは、建物の床や壁、塀などに鏝(こて)で土やモルタル(セメントと砂と水を練り合わせた建材)などを塗り上げる職人、仕事のことです。2020年、「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」がユネスコ無形文化遺産に登録された際、左官(日本壁)も含まれました。このことからも、左官は古くから日本の暮らしに根付いた仕事だということがわかります。
日本人は住居の素材として古くから土を用いており、縄文時代の竪穴住居の壁にも粘土が塗りこめられています。土壁は通気性や調湿性に優れているそうなので、湿度が高く雨の多い気候の日本にはぴったりだったのでしょう。日本人は、この土の特性を昔から見抜いていたんですね。
その後、稲作が普及するとともに藁や草を混ぜた土が利用されるようになり、奈良・平安の王朝時代にはやんごとなき人々の邸宅や寺院建築に漆喰(しっくい)が導入されるようになりました。漆喰の主原料は天然鉱物資源である石灰で、世界中で利用されています。日本には仏教伝来とともに中国から伝わったとされていますが、伝来後は海藻などから作られる「糊(のり)」や、麻などの繊維を刻んだ「スサ」を加えるなど、独特の発展をしてきました。身近にある土や藁などを練り合わせ、壁や床をつくり上げる左官の技は、まさに日本の気候風土から生まれ、発展してきた技なのです。
ちなみに日本には全国各地に石灰岩が分布しており、石灰は国内で唯一100パーセント自給可能な天然鉱物だそうです。
話を「左官」にもどしましょう。この言葉は不思議です。「左官」という字からは、左官の仕事内容は思い浮かびません。
調べたところ、諸説あるようでしたが、宮中を修理する職人に木工寮(もくりょう)の属(さかん)として出入りを許したという説の信憑性が高いようでした。「属(さかん)」→「左官」となったわけですね。なお「左官」は当て字で、古くは「沙官」「沙翫」と表記されていました。ちなみに木工寮というのは、律令制時代に土木部門を扱っていた役所で、「属」とはその一番下の階級だったとのことです。
ここまで左官の仕事内容と歴史を簡単に見てみました。
土壁は通気性、調湿性、防火性に優れている
そして令和7年8月28日、私は長谷さんの現在の仕事場である川越市蔵造り資料館へと向かいました。
川越は古くから小江戸と称された城下町で、江戸時代の風情を今に残す蔵造りの町並みは一大観光スポットとなっています。なかでも川越一番街商店街は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、私が訪れた日も、最高気温35度という暑い日でしたが、内外からの観光客でにぎわっていました。

川越が蔵造りの町並みとなったのは、明治26年(1893)に起きた大火がきっかけでした。焼け残ったのが伝統的な土壁工法による蔵造り建物であったことから、川越商人たちは競って蔵造り建築による店舗を建てたそうで、それが今に残っているんですね。土は通気性や調湿性だけではなく、防火にも優れているのです。
蔵造り資料館はその町並みの中心部にありました。大火の後、当時煙草卸商を営んでいた小山文造(屋号「万文」)が建てたものです。これから紹介するように、蔵造りの建物は完成までに時間と費用がかかります。蔵造りは商店の富のシンボルだったという側面もあるようです。
(次回:1月28日掲載予定 取材・文/岡田尚子)