平成29年8月21日(月)~22日(火)にわたり、当財団が共催する「硫黄島訪島事業」が開催され、硫黄島戦歿者遺族関係者及び青少年の55人が訪島しました。
以下は当財団の記録として同行した國學院大學神道文化学部3年の渡邉純弥君のレポートです。
*…*…*…*
本事業は「硫黄島での慰霊事業として、島内での慰霊行事と戦跡を巡り、この国の歴史と向き合い、確かな国家観を備えた明日の日本を担う人材を育成する」ことを目的に平成27年から継続開催されている。今回私は青少年枠の1人として遺族の方と共に硫黄島を訪島した。
初日は入間市内にある入間第一ホテルにおいて結団式と勉強会並びにグループディスカッションが行われた。ディスカッションでは6人程のグループに分かれて硫黄島に対する思いや訪島前日の想いを語り合った。
その中で「両祖父が硫黄島で戦死しているが、未だに遺骨が帰ってきていない。会いに行きたいと思い訪島を決意した。」と話すご遺族の方もおり、未だに多くの遺骨が収集されていないという現状を改めて思い知らされた。
翌日は航空自衛隊入間基地からC1輸送機で硫黄島へ向かう。
硫黄島は東京から約1200㎞。小笠原諸島の南端に位置する島だ。実際に硫黄島に上陸すると、かつて数々の激戦が繰り広げられ、多くの兵士が戦死されたとは思えないほど、美しい海と空が広がっていた。
慰霊式典は小高い丘に建つ「硫黄島戦没者の碑」(天山慰霊碑)で行われた。同島の戦いにおける日本軍最後の拠点であったという地に建てられた慰霊碑は、碑を囲む形で石造りの大小の慰霊碑などが置かれていた。また、碑の横には遺骨の一時安置所になっている納骨堂が建っている。前日の話を思い出し、戦歿者の遺骨が1日も早くご遺族の元へ帰還できるよう祈らずにはいられなかった。
式典では酒や菓子、果物などが供えられ、ご遺族の中には、戦歿者の令夫人の写真を供える方もいた。代表者が拝礼の後、参列者1人1人慰霊碑に献花をおこなった。今回、ご遺族の中には戦歿者の曾孫にあたる11歳の少年も参加していた。高校生の兄と母と共に献花し、慰霊碑にきちんと頭を下げる姿が非常に心に残った。
式典終了後、多くの人が慰霊碑に献水し、戦歿者の御霊を慰めた。当時水も満足に飲めなかった戦歿者の方々に水を飲ませてあげたい、という気持ちから、訪島するご遺族は郷里の水を持参するのが不文律になっているそうだ。ご遺族ではないものの、水の少ないこの島で激しい暑さの中戦われた戦歿者のために、私も献水させていただいた。
慰霊式典後、バスに乗り込み島内の戦跡を視察した。まず、島の中央にあり、一番多くの硫黄が噴出している地域である「硫黄ヶ丘」を訪れた。戦時中は海軍が噴出する蒸気の熱を利用して烹炊所として利用していたという。とても足元が崩れやすく、少し立っているだけで地面に足元が埋まり始めてしまった。
栗林忠道中将が指揮を執っていた「兵団司令部壕」は内部に入ることはできなかったが、外から見ただけでもとても深く狭い壕であった。次に訪れた「海軍医務科壕」は司令部壕と違い、通路が広く高く入りやすい壕であった。医務課だけに、外部との通行が困難にならないよう、地下深くに掘られていないからだ。他の兵科の壕はもっと深く、もっと暑いという。壕の内部には酒や水などが供えられていた。
入口が広かった医務課壕も、奥まで入ると島の地熱で呼吸するのも困難なほど熱く、このような場所に戦傷者が寝かせられていたのかと思うと、その過酷さを思い知らされた。8月の晴天で、島内はかなりの暑さだったが、壕の外に出た時にはまるで冷房が効いた部屋に入ったのかと錯覚するほどであった。
「大坂山砲台」は米軍上陸に備え設置された3つの高射射撃用の砲の1つである。砲身には弾痕や砲弾の跡が残り当時の戦闘の激しさを物語っていた。最後に訪れた摺鉢山の山頂からは島の全景と米軍が上陸した海岸を望むことができる。一目で見渡せるこの小さな島で、何万という人々の命が散った。上陸海岸に残された破壊されたトーチカ跡と錆びついた機関銃が当時の壮絶な状況を物語っていた。
17時、入間基地に帰着、入間第一ホテルに移動後、意見交換会と解団式が行われた。訪島前と比較しての心境の変化などについて話し合いがおこなわれた。意見交換会では青少年参加者から「壕の中のような過酷な環境で戦った戦歿者の方々には頭が上がらない」等、島の過酷な環境を肌で感じた意見が多く聞かれた。また、ご遺族の1人は「こんなにも暑い島で祖父や他の兵隊さんたちは作戦を立てて戦っていたのかと思った。今があるのはこの硫黄島で戦い亡くなられた方々のおかげなので、感謝をして今後も頑張っていきますと告げたい。」と話していた。
中でもご遺族代表の方が挨拶の中で涙ながらに「私のような遺族を二度と出さないようにしてほしい」と語っていたのを忘れることができない。
我々戦後世代の人間は、本を読み、話を聞くことでしか戦争のことを知ることはできないが、実際に戦闘が行われた地に赴き、その環境に身を置くことで理解できることも多々ある。今回の訪島は短時間ではあったが硫黄島の戦況や過酷な環境を身をもって知ることができた。
本事業に参加する前に、映画「硫黄島からの手紙」を鑑賞した。作中、俳優の渡辺謙演じる栗林中将は「我々がこの島を守る一日には意義がある」と部下に告げる。その言葉通り兵士達は最後の一兵になるまで、過酷な環境で戦い抜いた。このようにして、国を守るため、家族を守るために亡くなられた方々には、本当に頭が上がらない。終戦から70余年、戦争を知らない我々の平和な生活は先人の方々の尊い犠牲の上に成り立っている。そのことをしっかり理解し、歩んでいかなければならない。