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お伊勢さまの御神木がやってきた!
連載 第1回 上松町 での「お木曳 行事」<1>
令和7年7月25日

皇室の祖先神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢神宮(正式名称は神宮)では、20年に一度、御社殿と御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)を新たにして大御神にお遷りいただき、神威のより一層の高まりを願う至高の祭典「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」が斎行されています。
令和15年に大御神を新宮(にいみや)にお遷しする遷御(せんぎょ)を控える第63回神宮式年遷宮の諸祭儀が、この令和7年5月からスタート。季刊誌『皇室』の連載「第63回神宮式年遷宮」では、その様子を詳しくお伝えしています。
この連載では、誌面に掲載しきれなかった「御神木の奉迎送(ほうげいそう)」の模様をご紹介。6月初旬、木曽地方で伐り出された新宮ご造営のための御神木が、およそ1週間をかけ、長野、岐阜、愛知、三重の各県下で熱烈な歓迎を受けながら伊勢へと運ばれていった様子をお伝えしていきます。
御杣山(みそまやま)と御神木
ここでいう「御神木」は、正式には「御樋代木(みひしろぎ)」といいます。これは、天照大御神をはじめ伊勢神宮に祀られる神々の御神体をお納めする御器(みうつわ)である「御樋代」を奉製する御料木(ごりょうぼく)です。1万本にものぼる御用材のなかでも神様の最も近くに用いられる材ですから、御神木とも呼ばれ、尊ばれているのです。
御樋代木は、木曽谷(きそだに)と裏木曽の「御杣山」で伐り出されました。御杣山とは、神宮式年遷宮のための御用材を伐り出す山のこと。その選定には天皇陛下の御治定(ごじじょう/お定めになること)を仰ぐしきたりで、江戸時代半ば以降はほぼ毎回、木曽地方の山が選定されています。
令和7年6月3日に長野県上松町の木曽谷(きそだに)国有林で「御杣始祭(みそまはじめさい)」が、同月5日に岐阜県中津川市の裏木曽国有林で「裏木曽御用材伐採式(うらきそごようざいばっさいしき)」が行われ、手斧を用いる古式の伐木法で御樋代木が奉伐されました。その詳細は『皇室』107号に掲載していますので、興味のある方はご覧ください。
ところで、神宮には、天照大御神をお祀りする皇大神宮/内宮(こうたいじんぐう/ないくう)、豊受大御神をお祀りする豊受大神宮/外宮(とようけだいじんぐう/げくう)の2つの御正宮(ごしょうぐう)があります。両御杣山では、内宮御料、外宮御料、予備木の3本の御樋代木が、それぞれ伐り出されました。
御樋代木は「御神木」として、両御杣山の地元で盛大な御神木祭を行った後、それぞれ伊勢へ向けてトラックで運ばれました。その途上、御神木を載せたトラックは、神社や駅頭、公園などに立ち寄りながら進みます。御神木をお迎えし、お送りする各地では、多くの人々が集まり、祝賀行事が行われました。

お木曳のスタート地点へ
6月3日の御杣始祭の後、地元の長野県上松町では、翌4日から6日にかけて御神木祭が行われました。なかでも4日には、御神木を御木曳車(おきひきぐるま)に載せて町内を奉曳(ほうえい)する「お木曳行事」がありました。
雨模様だった昨日とは一転、この日は朝から晴天。絶好のお木曳日和です。JR上松駅周辺の町の中心部には、御神木祭の幟(のぼり)が立ち、駅前ロータリーには、今日の奉曳のゴール地点である御神木の奉安所が設けられています。町中には白法被(はっぴ)に鉢巻姿の参加者や観光客の姿も目につきます。いつもは静かな町に、今日は朝からお祭り気分が漂っています。
奉曳の開始時間は午前10時半。スタート地点となるのは、駅から1.5㎞ほど離れた施設「よろまいか」に設けられた奉安所です。出発を前に、木曽川支流の小川(おがわ)を少しさかのぼったその場所まで歩いていくと、たくさんの人が集まり、2本の御神木が御木曳車に載せられていました。

昨日の御杣始祭で伐り出された御神木は、御杣山からこの場所に運ばれてきました。伐木を奉仕した杣夫(そまふ)たちの手で、両方の木口(こぐち)は「頭巾(ときん)巻き」と呼ばれる16角の曲面に加工され、清筵(きよこも)と清薦(きよむしろ)を巻いて「化粧掛け」を施されています。その作業は昨夜遅くまでかかったそう。その甲斐あってか、美しく立派に仕上げられています。

木口に見える木目はこまやかで、さすがは御神木、特上の材であることがわかります。山から伐り出されたばかりの御神木からは、かぐわしいヒノキ香が漂い、香りを嗅ぐだけで自分の心身まで清められそうな気がします。

集まった人たちは御神木の前で記念撮影をしたり、脇に据えられた賽銭箱に小銭を投げ入れ、手を合わせたり。御神木祭は、上松町で生まれ育った御神木を、町の人たちがこうして間近で見て感じられる、貴重な機会でもあるのです。

(次回に続きます)
[取材・文/中尾千穂]