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お伊勢さまの御神木がやってきた!

連載 第1回 上松町あげまつまちでの「お木曳きひき行事」<2>
令和7年7月31日
獅子が舞い、神楽(かぐら)が露払い

 奉曳前の奉安所に、笛と太鼓の音が流れています。地元の小川里若連中(おがわさとわかれんちゅう)による獅子狂言の奉納です。御神木を前に、歌とお囃子(はやし)に合わせ、女物の着物姿の獅子が芸を披露します。獅子の傍らには、太鼓を取りつけ、御幣(ごへい)や唐傘(からかさ)などを飾り立てた「神楽」と呼ばれる屋台が置かれています。
奉曳前に奉納された小川里若連中による獅子狂言

 上松には地区ごとに「若連」と呼ばれる組織があり、地区の祭礼や行事を取り仕切り、獅子狂言や地歌舞伎などの芸能を伝承しています。20年に一度の御神木祭は木曽奉賛会が主催し、5つの若連の協力のもと行われ、お木曳行事にも若連ごとにそろいの浴衣で臨みます。

 その後、御神木を前に関係者の挨拶や御神木の引き渡しがあり、いよいよ出発! 奉安所入り口の注連縄(しめなわ)が切られ、露払い役の小川里若連の神楽が先陣を切ります。笛と太鼓の音もにぎやかに、小川沿いの坂道を滑るように下っていきます。
露払い役の小川里若連の神楽

 続いて、御神木を1本ずつ載せた2台の奉曳車(ほうえいしゃ)が出発。前回の御神木祭でも活躍した奉曳車だそうで、1号車には内宮御料、2号車には外宮御料が載せられています。それぞれ長~く伸ばした2本の白い綱に曳き手が取りつき、「よいしょー、よいしょ!」のかけ声で曳いていきます。20年に一度のこの日のため、上松町では地元のお祭りなどの機会にお木曳の練習をしてきたそう。曳き手には、浴衣姿の地元若連のほか、全国各地からやってきた白法被(はっぴ)に鉢巻姿の人たちも大勢いて、総勢1400人が参加。青空のもと、遠くに雄大な山並みを眺めながら、お木曳の列は川沿いをゆっくりと進んでいきます。
小川沿いを奉曳される御神木。幟(のぼり)の「太一(たいいつ/たいち)」は神宮を表す

木曽の木遣(きや)り唄
 お木曳でなくてはならないのが、独特の節回しで力強く唄われる木曽の木遣り唄。もとは山で木を伐り出す際に唄われた労働歌ですが、現在は神宮の御神木を言祝(ことほ)ぐ祝儀の唄として唄い継がれています。さまざまな詞章がありますが、代表的なのは次のようなもの。

「今日は吉日天赦日(てんしゃにち) 木曽の深山(みやま)で育てたる 日の本一のこの檜(ひのき) 伊勢の社に納めます」

「今日はめでたい初曳きよ 待ちに待ったる御神木 綱にすがりて皆様の 真心こめて送ります」

 こうした木遣り唄からは、地元から御神木を送り出す喜びと誇らしさが、ダイレクトに伝わってきます。唄い手が木曽ヒノキ製の幣束(へいそく)を手に音頭をとり、曳き手も「よーい、よい」と綱を持ち上げて合いの手を入れ、みんなで気持ちを共有します。同じ木曽の木遣り唄でも、詞章は地区によって違いがあるとか。唄い手がこの日のために用意したオリジナルの詞章が披露されることも。
父親の車椅子を押しながら進む木遣りの唄い手さん。詞章が書かれたアンチョコでもある扇子で、父親に日陰をつくってあげたり、扇いであげたりしながら進んでいた

 お木曳の行列が集落に入ると、沿道には御神木のお通りを待つ人たちの姿がありました。庭先に椅子を出して、あるいは家の中から、お木曳を眺め、御神木を拝んでいます。上松の人たちにとっての御神木の重みを感じる光景でした。

(次回に続きます)

[取材・文/中尾千穂]
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