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お伊勢さまの御神木がやってきた!

連載 第1回 上松町あげまつまちでの「お木曳きひき行事」<3>
令和7年8月7日
旧宿場町を練り歩く

 お昼休憩を挟んで、お木曳の列は木曽川にかかる小川橋という赤い橋を渡ります。ここで、露払い役は、小川里若連(おがわさとわかれん)から、上若連(かみわかれん)の神楽へバトンタッチ。お木曳の列は木曽川沿いを進み、JRの線路を越えて、上松の中心街へ向かいます。
木曽川にかかる小川橋を渡るお木曳の列

 上松はかつて中山道(なかせんどう)の宿場として栄えた町。上松宿の北入り口にあたる十王橋を渡り、古い町並みが残るエリアに入っていきます。
小さな川にかかる十王橋はかつての宿場町の入り口

 宿場町の面影を残す街道に、木曽木遣(きや)りが響きます。唄い手さんたちはトランシーバーをマイク代わりにして、交代で自慢の喉を披露していきます。
左/交代で喉を披露する木遣(きやり)の唄い手さんたち。仲間のためにマイクがわりのトランシーバーを持ってあげている 右/年季の入ったアンチョコの扇子と幣束(へいそく)を手にする唄い手さん

 ちびっ子たちによる奉曳や「子供木遣り」もありました。こうして上松の人たちは、幼い頃から木遣りの節や文句を記憶に刻み、体に染み込ませていくのでしょう。
ちびっ子たちもお木曳行事に参加。御神木祭の期間中は平日だったが、上松小学校は休校に

 この日は真夏のような暑さ。休憩しながらゆっくりと進みます。ただし、休憩中もお囃子は鳴りやみません。演奏しっぱなしで大丈夫なのか?とこちらが心配になってしまうほど。それに、重さ120~130㎏もあるという神楽の担ぎ手も力仕事です。練り歩く様子を見ていると、進行方向と反対側の担ぎ手は後ずさりしながら進んでいて、バランスをとるのも難しそう。でも、神楽を取り巻く上若連の人に訊いてみると、「やりたい人ばかりだから大丈夫」なんだとか。御神木祭は「20年に一度の晴れ舞台」といったところでしょうか。
御神木祭に沸く上松町の商店で、「御神木パイ」なるお菓子を発見

神楽とお神輿がそろい踏み

 お木曳行事の終盤には、駅前にスタンバイしていた上若連以外の4つの若連の神楽と、上松町のお隣の木曽福島に鎮座する水無(すいむ)神社のお神輿(みこし)が担ぎ出されました。
左/上若連の神楽。浴衣は月星文様 右/小川里若連の神楽。浴衣は月星に天馬の文様

 若連ごとに神楽の仕立て方や浴衣の柄が違っていて、見ているだけでも面白いもの。
左/大宮若連の神楽。浴衣は獅子頭(ししがしら)文様 右/萩原若連の神楽。浴衣は波千鳥文様

 また、水無神社のお神輿が御神木祭に参加するのは、今回が初めてとのこと。御神木の後を慕うように連なる神楽とお神輿のそろい踏みに、見物客も盛り上がります。お囃子と掛け声があちこちで響き、町はますますにぎやかに。
左/立町若連の神楽。浴衣は桐にマルダイ(〇に大の字)の文様 右/水無(すいむ)神社のお神輿

 こうして町内を練り歩いてきた御神木は、夕方、ついにJR上松駅前の奉安所に到着。詰めかけた大勢の人たちが見守るなか、重機を用いてテント内に奉安されました。

 御神木の前では、上若連中による獅子舞の奉納がありました。笛と太鼓、唄に合わせ、御幣と鈴を手にした獅子が「悪魔払い」の舞を舞います。いわゆる「お祓い」のような意味合いがあるようです。
お木曳を終え、奉安された御神木の前で奉納された上若連中による獅子舞

 その後、長野県神道青年会・雅楽会の奉仕による奉安祭が執り行われました。御神木の前に並べられたお供えには、「朴葉(ほおば)巻き」も見えます。この大きな朴の葉でくるんだお餅は、この季節限定の地元の名物です。

 上松に鎮座する諏訪神社の宮司(ぐうじ)さんが祝詞(のりと)をあげ、巫女舞(みこまい)、玉串拝礼で神事は終了。
奉安祭での玉串拝礼

 行事が終わり、鉢巻を外した若連のみなさんの額には、一様にくっきりと白い線が。今日一日で、すっかり日焼けしたようです。お疲れさまでした!

[取材・文/中尾千穂]
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