読みもの
和の響き――日本の音色に魅せられ
第1回 龍笛――その1
令和7年7月23日
第1回 龍笛――天と地の間を飛翔する 「龍の鳴き声」
1 なぜ雅楽?
宮内庁楽部との出会い
この「和の響き」は日本独自の音色と、その作り手を紹介していく連載です。記念すべき第1回は雅楽でおなじみ「龍笛」(りゅうてき)のお話です。
初回がなぜ雅楽の龍笛かと申しますと……。

話は平成14年(2002)に遡ります。私はその年から季刊誌『皇室』で宮内庁楽部(がくぶ)を取材することになりました。宮内庁楽部は宮中の雅楽を伝承している機関で、宮中の行事の際に雅楽や西洋音楽の演奏を担当し、雅楽の後継者の育成を行っています。楽器を演奏するだけではなく舞も舞います。所属する楽師は全員が人間国宝(重要無形文化財保持者)という、いわば雅楽界の総本山です。
取材前に私が雅楽について知っていたのは、たぶん、雅楽というジャンルの音楽があること、笙(しょう)という楽器を使うこと、神社のお祭りや結婚式で演奏されることくらいだったと思います。ところが取材を始めてみると、楽部の方々のお話は衝撃的なほどの面白さでした。
たとえば――伊勢神宮の20年に1度の遷宮の際には特別な管絃と舞が披露されますが、曲も舞も神様だけにお楽しみいただくものなので、神様だけに聞こえるように音を鳴らさないで演奏するとか、曲も舞もどんなものなのか決して口外してはいけないという決まりがあるので、選ばれた楽師は「覚えたら忘れろよ」という言葉とともに譜面をもらうとか。あるいは、もちろん楽師によって意見は様々でしょうが、4人で同じ振りをする舞は4人で動きを揃えようと思って舞うわけではないとか(各人が宇宙と一体になって存分に舞った結果、動きが揃えばそれでよし、揃わなくてもまたよし)。
いま思い出しても、とんでもない話をたくさんお聞きしたなあと思います。
『皇室』誌での連載は平成18年まで続き、平成20年に『雅楽の正統――宮内庁楽部』(扶桑社刊)となってまとまりました。

ただ、この本は宮内庁楽部と雅楽の歴史を紹介したものなので、楽部の演奏を支える楽器の作り手への取材はありませんでした。「楽器の作り手の話も聞きたかった」とずっと思っていたところ、この「ぶんぶくの森」で連載ができることになったというわけです。雅楽の楽器にもいろいろありますが、まずは龍笛製作からご紹介します。
雅楽についておさらいしましょう
ではここでざっと雅楽のおさらいをしておきましょう。
雅楽は10世紀(平安時代)に大成されたわが国最古の古典音楽です。宮内庁楽部を紹介する宮内庁のHPには次のようにあります。
「日本には上代から神楽(かぐら)歌・大和歌・久米(くめ)歌などがあり、これに伴う簡素な舞もありましたが、5世紀頃から古代アジア大陸諸国の音楽と舞が仏教文化の渡来と前後して中国や朝鮮半島から日本に伝わってきました。雅楽は、これらが融合してできた芸術で、ほぼ10世紀に完成し、皇室の保護の下に伝承されて来たものです」
その後、9世紀半ばに「平安の楽制改革」と称される改革が行われ、楽曲の分類や演奏時の楽器の編成が整理され、現在の形になったといわれています。つまり、いま私たちが聴いている雅楽は、1150年前からとほぼ同じものということです! 驚きますよね。
この間に、日本は王朝文化が衰退し、都も応仁の乱(1467~1477)で焼け、さらには明治維新という大変革もあったわけで、そう考えると、雅楽はよくぞ存亡の危機を乗り越えてきたものだと思います。
雅楽はさまざまな伝統楽器を用いて演奏されますが、なかでも笙、篳篥(ひちりき)、笛は「三管」(さんかん)と称し、雅楽に携わる人は三管のいずれかを吹くことが求められます。ちなみに琵琶と筝(そう)はどちらかを演奏し、打物(うちもの)、歌は全員が学びます。舞は、左舞(さまい)と右舞(うまい)のどちらかを学びます。



龍笛は横に構えて吹くので「横笛」の一種になりますが、平安貴族の男性にとって必須の教養とされた楽器で、『源氏物語』でも光源氏をはじめ上流貴族が奏でる姿がよく描写されていますね。村上天皇や一条天皇は名手だったとも伝わっています。
龍笛の音色には少しかすれたような、それでいて雲間を突き抜けてくるような鋭さがあります。天と地の間を行き交う「龍の鳴き声」とたとえられるのも納得の神々しさです。ちなみに笙の音色は「天から差し込む光」、篳篥は「地上にこだまする人の声」を表すとされています。三管あわせると「天=笙」「地=篳篥」「空=龍笛」となり、合奏することで宇宙全体を表現しているのです。なんだか震えるほどかっこいいですよね……。
(次回:7月30日掲載予定 取材・文/岡田尚子)