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長谷さんのこと到着してみると、蔵造り資料館は素屋根ですっぽりと覆われていました。実は令和5年度から令和8年度まで耐震化工事が行われており、長谷さんはその工事を担当しているのです。

長谷さんは昭和47年、東京都のお生まれです。左官になった経緯について尋ねると、「特に記事になるような物語はないんですよ。高校の友人がブロック屋さんで、その友達の手伝いをしている時に知り合った人から紹介してもらったんです。だから伝統が~とか日本の美が~なんていう意識高い系の入り方ではないんです」
少年時代は日本酒の杜氏になりたかったとか。
「いずれにしろ何かを作る職人にはなりたいと思っていました」
縁あって左官の世界に足を踏み入れた長谷さんは高校卒業後、ビルやマンションなど、野丁場(のちょうば/主にゼネコンが元請けとなって行う、ビルやマンション、公共工事などの大規模な建築工事現場)での薄塗り仕上げを中心とする左官会社で10年程働きました。薄塗り仕上げとは、主にモルタル(セメント、砂、水を混ぜて作る建築材料)などセメント系の「薄塗り材」を使用し、1~3ミリ程度の厚みで表面を平滑に整える仕上げ方法です。この会社では見習い3年、職人2年を経て、職長として現場の統括をしていました。
「最初はセメントと砂、水を練って、それらの材料を運ぶところから始めました。最初から鏝(こて)を持って塗れるわけではないので、それ以前の段階の仕事を一所懸命にしていました」

材料を練ると言っても、簡単ではないそうです。
「水の量や、各材料の比率によって硬さが変わりますし、塗る場所や用途によって求められる硬さが違うので、そういうのをちゃんと覚えていかないといけないんです」
データなどを取って覚えていくのでしょうか。
「いや、ヒューマンエラーが起きやすいのは、どちらかというとデータの方だと思います。例えばバケツ8杯入れるところを、数え間違えて7杯しか入れなかったとか。それよりも自分で練ってみて、これはちょっと緩いなとか硬いなとかという感覚の方が信じられます」
ちなみに長谷さんが初めて鏝塗りをしたのは、府中刑務所の独房の壁のモルタル塗りだったそうです。
別次元の左官がいる
そして、5年目、長谷さんは職長になりました。これはかなり早いといいます。
「決して僕の技術の上達が早かったわけではなくて、人を動かすことや段取りが上手だったんだと思います。職長というのは、自分が仕事をするわけではなく、人にどういう仕事を割り振ってその現場を進めていくかという統括能力が求められるんですね。僕は、誰をどの場所に配置すればうまく行くかという、その差配と作業の工程全体を見渡す段取りが上手だったということです」
この時、私は長谷さんの言葉の意味をあまり深く考えていなかったのですが、その後、取材を進めるにつれて、この「差配と段取り」の重要性がわかるようになりました。これはどの仕事でも上に立つ人に求められる能力ではありますが、左官の仕事は実に幅広く、一つの作業をひとりでコツコツ進めるプロセスもあれば、職人がタイミングを揃えて時間勝負で一気に進めなくてはいけない作業もあり、なおかつ職人同士の能力や相性なども考慮する必要もあります。左官の職長は、差配と段取り能力がないと務まらないのです。
その後、長谷さんは衝撃的な出会いをします。
「野丁場で仕事をしていた時、珪藻土(けいそうど)を扱う左官が入ってきたんですね。僕らが作業した上から珪藻土を塗っていくわけです。それが悔しくて…。僕らが左官として入っているのに、なぜ別の左官が入ってくるんだって。で、その時、同じ職業として語られているけれど、別の次元があることに気づいたんです。そこでいろいろ調べ始めたのですが、当時はインターネットもないし、本で調べようにも左官の本は少なくて、苦労しました」
こうして長谷さんは伝統的な厚塗り工法の工事を請け負う左官会社に転職しました。
伝統的な厚塗り工法というのは、主に土壁塗りや漆喰塗りを指します。今回の蔵もそうですが、複数回に分けて材料を塗り重ねていき、一般的に20〜30ミリ程度、場合によってはそれ以上の厚みを持たせるのです。蔵造りの扉は数十センチありますが、あのイメージですね。
厚塗りと薄塗りは、材料も材料の練り方も全く異なるため、長谷さんは再び見習いからスタートしました。
「野丁場はセメントでしたけど、厚塗りになると土や漆喰になるので、求められる能力がまったく違うんです。中途半端は嫌だったので、ゼロから始めたいと申し出て、3年間は材料練りやって、次の3年は手元(てもと)をやりました。手元というのは、要は職人の手助けですね。職人に材料渡したり、自分の塗った部分を直してもらったり、職人の作業を一番近くで見られるポジションです」
手がけたのは名建築ばかり
技能の修得に励んだ後は、4年ほど職人として蔵などの厚塗りの仕事をしました。そして平成23年(2011)にいまのあじま左官工芸に入社しました。
「今の会社に入ってからは社寺建築などの文化財を新たに手がけるようになったので、また新しいことを覚えていきました。ただそれまで扱っていた蔵の壁は、柱が表側に見えない『大壁(おおかべ)』で、社寺建築は柱が見える『真壁(しんかべ)』なんですね。大壁に比べると塗る面積が狭いので、その点は楽だと思いました」
簡単に補足すると、部屋の中の柱や梁(はり)が見えるのが真壁、柱や梁が壁と同じ素材で塗り込まれていて外から見えないのが大壁というわけですね。
長谷さんは入社後に1級左官技能士、登録左官基幹技能者の資格を取得。全国文化財壁技術保存会の伝承者養成技術研修会(中級)も受講し、現在は、社寺建築などの文化財建造物を対象とした保存・修理の左官工事を主に担当。職長として、保存・修理の専門家との打ち合わせや、現場の統括を任されています。平成6年に建設マスターとして表彰されたのは、連載1回目で紹介した通りです。


これまでに手がけたのは、旧江戸城大手門保存修理工事、旧学習院初等科正堂保存工事、駿府城公園坤櫓(ひつじさるやぐら)建設工事、大本山成田山新勝寺額堂耐震補強整備工事、臨江閣(りんこうかく)保存整備建設工事、旧富岡製糸場西置繭所(にしおきまゆじょ)保存修理工事、旧川越織物市場整備工事、旧三笠ホテル保存復元工事など。名立たる建築ばかりです!
(次回:2月4日掲載予定 取材・文/岡田尚子)
前回はこちら https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100776