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蔵造り資料館は「根本修理」さて、視線を川越の蔵造り資料館に戻しましょう。
この耐震化工事は建物を一度すべて解体して、再び組み直す「根本修理」です。私が訪れた日は、大工さんによる解体・組み直しは既に終了し、長谷さんを含めて4人の左官が作業をしていました。左官の作業は令和5年8月から始まったそうです。
「左官の仕事は一人でじっくり取り組めるものもあれば、塗った漆喰が乾く前に作業を終わらせなくてはいけない時間勝負のものもあって、作業工程によって必要な人数が変わるんですね。今日は、あじま左官工芸から独立した2人のベテランと、今、僕が連れて歩いて教えている今井謙真(けんしん)が入っています。今井は左官になって4年目ですね。今回の現場は蔵なので、蔵に慣れた人たちに来てもらうようにしています」
左官の現場は日程が合えば入るというような感じなのでしょうか。
「そうです。来週1週間なら入れるよ、とか。もちろん技術がともなっているというのが前提で、この工程の時はこのメンバーでお願いしたいという時もありますが、基本的には緩い感じです」
蔵の中は中塗りが終わった状態だった
蔵に足を踏み入れてみると、中には袋に入った土やバケツ、さまざまな道具が置かれていました。扉付近にもいろいろなものが置かれています。


「いまは中塗りが終わった状態で、あとは漆喰を塗るだけです」と長谷さんが説明してくれました。蔵の内部は先に教えてもらった真壁なので、柱が見えています。

実は川越市蔵造り資料館のこの工事は、YouTubeの蔵造り資料館チャンネル(https://www.youtube.com/@kawagoekuradukuri)で、宮大工の伝統技術、土蔵壁の造り方、瓦職人の世界と、工事の種類別に動画が紹介されています。私も事前に土蔵壁の造り方の予習をして取材に臨んだのですが、工程が多く、「中塗り」と聞いても「どういう段階だったかな?」と咄嗟にはわかりませんでした。
そこで、ここで簡単に土蔵壁の造り方のプロセスを簡単に紹介しておきましょう。これは蔵の扉も、蔵の中の壁も同じで、数多くの工程があります。完成までには2年以上もかかるそうで、左官は蔵を作る主役といってもいいかもしれません。
「通常、棟梁といえば大工ですけど、蔵は『左官が棟梁』と言われているんですよ。蔵は柱の見えない大壁でしょう。この大壁工法で作る建物は、見える部分をすべて左官が手がけることになるのです」
私が、この長谷さんの言葉を聞いて思い出したのは、先の動画です。左官が現場に入るのは、大工が基礎部分や柱、天井などの構造を組み直した後です。動画を見ると、左官が壁を造るまで、蔵は柱と天井があるだけ。柱と柱の間には板のような、下地となるようなものが何もなく、風が吹きわたる骨組みの状態でした。言ってみれば、蔵の壁は無の状態から左官が作っていたのです。
「左官が扱うのは土や漆喰、セメントですが、そういった流体素材から形を作り出すというのは難しい作業だと思います。材料の練り方、鏝を使う力加減、角度すべてがちゃんと理想的に絡まないときれいに出来上がらない。昔の人はよくこういう左官の仕事を作り出したなあと思います」
最初に行うのは竹小舞(たけこまい)を作ること
でも何もないところに壁は作れません。そこで左官が最初に行うのは、壁の下地となる「竹小舞」を作ることです。竹小舞は、その上に土を塗るための骨組みで、細く割った竹(「小舞竹(こまいたけ)」と言います)を柱と柱の間に縦横にびっしりと組み、縄で固定して強度を高めます。小舞竹を縄巻きすることを小舞掻(か)きと言うそうです。蔵造り資料館の竹小舞作りは令和6年2月から始まり、同年3月下旬に完成しました。


次に竹小舞に泥団子を打ち付ける「荒打ち」を1~2か月かけて行い、「荒壁」を作っていきます。動画にも収められていましたが、大勢の左官が藁スサ混じりの大きな泥団子を次から次へと竹小舞に打ち付けて均していく様子は、なんだか楽しそうでした。ちなみにこの荒打ちは、日によってメンバーは違いますが、連日約10人の左官で作業したそうです。


蔵造り資料館の荒打ちは令和6年4月上旬に始まり、同年5月中旬に完了しました。
(次回:2月11日掲載予定 取材・文/岡田尚子)
その2 (前回)https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100777
その1 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100776