読みもの
実用的でありながら見栄えもいいものが残っていった長谷さんは「本来、左官の仕事は『こうでなくてはいけない』というような決まりはあまりなかったんじゃないか」とも話してくれました。
たとえば影盛の形について。川越の蔵をざっと見渡すと、影盛は雲のような形をしています。
「たぶん、最初は違ったんじゃないかな。本来の目的が雨水防止なので、昔はいろいろな形のものがあったと思います。それが使い勝手がわかっていくうちに、こっちの形の方がいいということがわかって形が絞られていったんじゃないでしょうか」
屋根の目立つ場所にあることから次第に意匠化していき、より大きく、よりきれいになっていったわけですね。
「実用的でありながら見栄えもいいものが残っていったということです。これは他の産業も同じですよね。ということは、そういう淘汰はこの先も起こるかもしれない。新しい建材や技法も増えているので、新しい形が生まれていくでしょうね」
後輩の今井さんは屋根の棟足場(むねあしば)に腰を据え、手を動かしていました。棟足場とは、住宅の上棟(棟上げ)作業や、その後の屋根・外壁工事などの際に組まれる足場です。
屋根の最上部には壁のような箱棟(はこむね)がそそり立っています。箱棟は、棟(屋根の頂の水平部分)を箱型に覆ったもので、屋根を最上部で支える棟木を保護しています。川越市立博物館のHPによれば、この蔵造り資料館の箱棟は本来の機能のほか、箱棟そのものの装飾性が高くなっているのが特徴だそうです。

また調べたところ、川越の蔵の影盛が巨大になったのも、この壁のようにそそり立つ箱棟と関係があることがわかりました。この箱棟があることで、屋根の両端にある鬼瓦が相対的に小さく見え、バランスが悪いのです。そこで、鬼瓦の背後に影盛を設けて鬼瓦の存在感を高めているというわけです。「影盛」という名前に納得です。確かに蔵が並ぶ町並みを眺めると、高く、大きな箱棟と、その両端にある影盛と鬼瓦が、蔵に圧倒的な重厚感を与えていることがわかります。
さて、今井さんの作業に視線を戻しましょう。今井さんは、箱棟のすぐ下にある台熨斗瓦(だいのしがわら)に継ぎ目漆喰を塗っていました。

台熨斗瓦は、棟の基礎となる最下段に積まれ、雨風の影響を受けやすい棟の防水を担う重要な瓦です。今井さんは、台熨斗瓦の継ぎ目部分に漆喰を塗ることで、防水性をさらに高めているわけです。
「この部分には、漆喰を盛り上げて小判と呼ばれる意匠を作ります。それができると屋根の印象はずいぶん変わると思いますよ」
次回は屋根が仕上がった時期に取材を予定しているので、どんな感じになるのか楽しみです。

風土が違えば技も考え方も違う
もう1人のベテランはケラバを担当していました。漢字では螻羽(螻蛄羽)と書き、二等辺三角形のような形状をしていることから「三角屋根」とも呼ばれる切妻(きりつま)屋根の妻側(三角形の斜辺部分)の端のあたりを指します。ちょうど壁より外に出っ張っている部分です。

ケラバは雨水の侵入防止、日差しや紫外線の調整、そして雨風による外壁の劣化防止を担う重要な部分です。
「ケラバの下には土台となるものは入っておらず、すべて左官が砂漆喰から成形しています。ここまでの形にするのは、それほど簡単な話ではありません。蔵の内壁のような荒塗り→中塗り→漆喰というほどの手間ではないですが、それなりの手順を踏んで作っていかなくてはなりません」
この連載の冒頭でも説明しましたが、漆喰は天然鉱物資源である石灰を主成分とし、スサ(繊維)や糊(のり)、水を混ぜて練ったものです。砂漆喰は、その漆喰に砂をまぜたものです。漆喰は粘土質で柔らかく、乾燥するとヒビ割れしてしまうというデメリットがありますが、砂漆喰はヒビが入りにくいうえに、強度も高いという特長があります。
「ケラバを塗るのは難しいんですよ。ここの部分、壁と平行になっている部分がアール(曲線)になっているのがわかりますか? 直線に見えるかもしれないけれど、ここは実はアールなんです。ここを直線で仕上げると、目の錯覚で凹んでいるように見えるんですよね。ここは、アールになっている型があるので、それを当てて鏝で仕上げていきます。反対側の瓦とつながる部分も、雨防止のために漆喰を盛っていきます」


聞けば、このアールを作り出すのは難しく、ケラバの漆喰塗りは左官職人の力量が問われるところだそうです。この蔵造り資料館のケラバは、今日の3人がずっと担当するとのこと。やはりひとまとまりの作業は同じメンバーでやるのが良いわけですね。
「後輩の今井には、ベテランの2人の作業を見てほしいと思っています。2人の地元は福島と山形で、同じ東北地方ではあるけれど、風土が違うので、微妙にやり方が違うんですよ。もちろん今回の現場では方針を合わせていますが、本来彼らが持っている技や考え方は、僕らとも違うし、その2人の間でも違う。今井には僕らとは違う地域の技に触れて、彼の技の間口を広げていってほしいんですよね。だから、僕は3人の作業の場には僕はあまり入らないようにしています」
(次回:4月1日掲載予定 取材・文/岡田尚子)
その9(前回)https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100840
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