読みもの

お能の扉、開けといたよ

presented by 月イチ能楽講座 第17回
令和8年6月12日
小鼓方・成田奏さん
「能楽公演のつくり方」<演者篇>



 中世にさかのぼる伝統芸能である「お能」は、知れば知るほど面白く、人をひきつけて離さない魅力があります。でも、古い時代の言葉づかいや、ゆっくりした抽象的な動きなど、予備知識なしでは難しく感じてしまうことも。
 そんなお能の世界の扉をぐぐっと開いてくれるのが「月イチ能楽講座」です。関西の若手能楽師のホープたちによる、軽妙なトークに迫力ある実演を交えての解説は「わかりやすい!」「楽しい!」と評判。メンバーは現在、8月に予定している主催公演「月イチ能楽講座スペシャル『錦木』」に向けて稽古に励んでいるところ。そんな彼らに、能楽の公演を主催する面白さや苦労などを数回にわたって綴ってもらいます。



月イチ能楽講座
東京・大阪・京都で毎月開催、毎回お能の1つの曲(演目)を題材に、能楽師シテ方の大槻裕一(おおつき・ゆういち/写真右)、小鼓方の成田奏(なりた・そう/写真左)、大鼓方の河村凜太郎(かわむら・りんたろう/写真中)が、若いエネルギーとみなぎる情熱、関西ノリの話芸とキレのある技で、たっぷり解説。オモシロ企画満載のインスタグラムも必見。スマホアプリRadiotalkで聴ける「週イチラジオ」は毎週日曜日の18:30〜(予定)配信中。
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一回きりの番組、一回きりの芸


 能楽の番組は、公演ごとに毎回変わる。また、同じ演目を上演する際にも、まったく同じ番組が繰り返されることはほとんどない。たとえば、8月1日の「月イチ能楽講座スペシャル公演『錦木(にしきぎ)』」も、その日限りの一回だけの番組である。歌舞伎や文楽のように連続公演が行われることは、基本的にないのである。これは能楽の面白い特徴のひとつだと思う。一回きりだからこその緊張感があり、「次があるから今回はほどほどで」という感覚にはなりにくい。むしろ、「せっかくなら全力でやろう」という空気が自然と共有されているように感じる。

 だからこそ、番組づくりはとても重要で、難しくもあり、面白くもある。番組をつくる際には、まず「どんな公演にしたいか」という大枠から考える。今回の「月イチ能楽講座スペシャル」では、自分たちが挑戦してみたい演目について、師匠や先輩方に相談しながら決めていった。その後、会場や出演者を決め、公演全体のイメージを少しずつ形にしていった。番組の構成や演目については、また後日この連載で紹介するとして、今回は出演者のことについて書いてみたい。

 演者の芸もまた、日によって変化するものだ。自分のような若手が芸について語るのは畏れ多いのだが、たとえば小鼓方が舞台で行うことについて考えてみると、構えや姿勢を保ち、手組(てぐみ=打ち方の組み合わせ)を打ち、掛け声を掛け、音を出すなど、色々な要素が関わっている。そして、それらの土台になっているのが「呼吸」である。小鼓は湿度や気温によって音の出方が微妙に変わる。音が変われば、左手で調節する革の張り具合も変える必要が出てくる。そうすると構えも変わり、それに合わせて呼吸の使い方も変わる。さらに、声の響かせ方にも影響してくる。このように、一つの要素が変わると他のことにも影響が出てくるのである。

 これは小鼓方に限らず、シテ方や他の囃子(はやし)方にも共通することだと思う。天候やその日の体調、気分などが舞台に影響するのは、こうした理由があるからではないだろうか。

能役者の流儀の違い

 能楽の各役に「流儀」というものがある。シテ方(主役)には、観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金春(こんぱる)・金剛(こんごう)・喜多(きた)。ワキ方(脇役)に福王(ふくおう)・下掛(しもがかり)宝生・高安(たかやす)。狂言方に和泉(いずみ)・大蔵(おおくら)。以上の各役の流儀は台本や演出に影響を与えるため、上演の際に必ず考慮しなければならない。

 たとえば、能『景清(かげきよ)』であれば、主人公・景清の住まう小屋を模した「作り物」(大道具)が出る。ワキのある流儀では外から小屋にいるシテの景清に向かって呼び掛けるが、ある流儀では小屋の柱を叩いて呼び出すかたちをとる。景清はそれを受けて応答するので、間(ま)の使い方などに影響するのだ。

 また、狂言方は、狂言の演目とは別に、能の演目のなかで物語の説明役として登場することを「間狂言(あいきょうげん)」といい、その役を「アイ」ともいう。間狂言では、同じ演目でも狂言方の流儀によって、登場する役柄が違う場合がある。たとえば、能『春日龍神(かすがりゅうじん)』では、「末社(まっしゃ)ノ神」という神様の役として扱う流儀がある一方、「社人(しゃにん)」という神社に務める人間の役で出る流儀もある、という具合だ。

 そして囃子方は、それぞれの流儀に所属する専門職だ。笛方に森田・一噌(いっそう)・藤田。小鼓方に観世・大倉・幸(こう)・幸清(こうせい)。大鼓方に観世・高安・大倉・葛野(かどの)・石井。太鼓方に観世・金春。演奏内容はそれぞれ違うが、囃子方は台本に従って演奏するので、演出が変わるほどの違いは少ない(稀にとんでもなく特徴的な演奏をする場合もあるが)。同じ流儀でも演奏の具合がまったく違うことはよくあるので、演目そのものの雰囲気を左右するのは、流儀の組み合わせというよりは、誰が演奏するかによる。

信頼する方々との共演

 今回の公演を企画するなかで、自分は「安心して全力で挑める先輩・師匠方に出演をお願いしたい」と強く感じた。ここでいう「安心」とは、単に技術が安定しているというだけではない。公演の意図を理解してくださるという信頼感や、普段から舞台を拝見したり共演したりするなかで「この方とならこういう舞台になるだろう」とイメージできる安心感のことである。

 ただ、先にも書いたように、演者は日によって変化するもの。そのうえ、能楽の公演では本番直前に「申し合わせ」という合わせ稽古があるのみで、出演者全員揃ってガッツリ本番想定の稽古はしない。そのため、番組をつくる段階で、舞台の「位(くらい)」を完全に決め切るのは難しい。位というのは、能の舞台全体の雰囲気や調子を指す言葉で、テンポや明るさなど、さまざまな感覚的な要素で決まってくる。

 事前に決め切ることができないからこそ、時には予想していなかった化学反応が起こることもある。また、素晴らしい化学反応を起こす演者の組み合わせというものも存在すると思う。舞台で細かなコミュニケーションが自然に取れ、さらに高い技術を持った演者同士が集まることで、想像以上の舞台になることがあるのだ。だからこそ、稽古のなかでは舞台のイメージをつくり込みすぎず、できるだけふくらませておいて、お互いの感覚や許容範囲を広げていく必要があるのだと思う。細かなコミュニケーションや技術を高めていくのは、これからの稽古の課題である。

 今回、ワキに福王和幸氏、アイに野村裕基氏をお願いしたのは、お二人とは日頃舞台を共にすることが少なくなく、頼りになり、共演を通して学ぶことが多い方々だからだ。

『錦木』の囃子は、演目の雰囲気を司るうえで非常に重要だ。今回の公演は、小鼓・大鼓の我々「月イチ能楽講座」メンバーが若手なので、笛は松田弘之氏、太鼓は小寺真佐人氏のベテランの先生方にお願いした。『錦木』で舞われる「早舞(はやまい)」は、松田氏の所属される森田流では「黄鐘(おうしき)早舞」という曲になるのだが、「黄鐘早舞」を扱うのは能の演目のなかでも3曲ほどと珍しい。また、後半のシテが登場する際の音楽「出端(では)」にも難しさがある。それまでの流れを汲みつつも新たな展開を作り、シテとツレ(シテに従って登場する役)を生き生きと描き出さなければならない。

 日々変化しながら経験を積んでいく若手の勢いと、安定した芸を積み重ねているベテランの力。その両方が噛み合ったときに生まれるものも、能楽の面白さの一つかもしれない。ご来場いただく方々には、そんなところもご覧いただければと思う。

前回の記事[シテ方・大槻裕一さん「能楽公演のつくり方」<企画篇>]は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100884
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