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秋の実りを美しく盛りつけて
色彩豊かな模様や、ユニークなカタチ。まるでアート作品のような、華やかで可愛らしいお供えものが、ずらり。これは、奈良県桜井市・談山神社(たんざんじんじゃ)で秋に行われる「嘉吉祭」の神饌(しんせん)です。
神饌とは、神様にお供えする食べ物のこと。現在では全国の神社のお祭りで見られる神饌は定型化されています。そんななか、嘉吉祭のそれは、独自の古式ゆかしいかたちを伝える「特殊神饌」と呼ばれる類(たぐい)のもので、「百味の御食」と称されています。
桜井市の南、多武峰(とのうみね)に鎮座する談山神社。主祭神は藤原氏の祖・鎌足公です。その歴史は、白鳳(はくほう)7年(678)に鎌足公の遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して妙楽寺(みょうらくじ)と称したことに淵源(えんげん)します。さらに大宝元年(701)には神殿を建て、鎌足公の御神像が祀られました。このように神仏混淆(こんこう)の要素が強くありながら、長らく寺院として存在していましたが、明治2年(1869)の神仏分離令を機に談山神社となりました。

談山神社で毎年10月第2日曜日に斎行されている嘉吉祭は、室町時代に始まる古い祭りで、奈良県無形民俗文化財に指定されています。その由来は次のようなもの。南北朝合一後の永享(えいきょう)7年(1435)、南朝の遺臣が多武峰で兵火をあげ、足利幕府が鎮圧のために派兵したことから、一山は焼失。御神体は飛鳥の橘寺(たちばなでら)に遷座(せんざ=場所を移すこと)しますが、3年後の嘉吉(かきつ)元年(1441)に多武峰に帰座(きざ)しました。その御神体が帰座した日に行われるようになったのが嘉吉祭です。神饌「百味の御食」は、御神体の帰座を喜んだ一山の人々が、多武峰の秋の収穫物を調(ととの)えて供したことに始まります。
現在、約30種類からなる「百味の御食」は、談山神社の神職や多武峰に住む氏子さんたちの手で調製されています。令和7年秋、談山神社で行われた神饌づくりの様子を見せていただきました。
米粒で模様を描く
嘉吉祭を前にした10月第2水曜日~金曜日(令和7年は10月8~10日)の夜、社務所の広間に神職や氏子のみなさんが集まり、種々の材料を盛りつけて「百味の御食」を調製する「御供(ごく)盛り」が行われました。この年、調製に奉仕したのは、談山神社の神職・学芸員8名と、多武峰の9軒の氏子さんたち。さらに令和6年からは、奈良市在住の県庁観光局のスタッフ2名も参加しています。

御供盛りに先立ち、奉仕者のみなさんは、これまでもさまざまな準備に勤しんできました。9月初旬~末にかけては、神社や氏子が育てた米や野菜、集落に自生する木の実や果物などの材料を集めました。同月28日には、奉仕者が顔をそろえての「初会」があり、誰がどの神饌を担当するかを決め、材料をそろえたり、加工したりする作業を行いました。また、調製に時間のかかる神饌は、各々が自宅で作業に取り組みます。そして、嘉吉祭を目前にしたこの3日間、一同が神社に集まり「百味の御食」を完成させるのです。
「百味の御食」のなかでも、ひときわ華やかなのが、幾何学模様の円柱形の神饌。この模様、なんと染色したお米で描かれています。「和稲(にぎしね)御供」とも「米御供(こめごく)」とも呼ばれ、小さな米粒を並べてつくるため、調製に最も時間がかかります。

米御供は模様の異なる4台があり、そのうち2台は氏子2名が、もう2台は神職2名が調製を奉仕します。氏子は基本的に毎年決まった人が同じ模様を奉仕しますが、神職は毎年くじ引きで奉仕者を決めているそう。
今回、その神職のひとりが、禰宜(ねぎ)の土居三純(どい・みすみ)さんです。「手間はかかりますが、米御供を奉仕させていただけるのはありがたいことです」と、多忙な仕事の合間を縫って調製に取り組みます。

土居さんの前に並んだ米御供の材料は、上の写真のとおり。上左から、黄・緑・赤・白の米粒、米粉でつくった糊(のり)、下左から、押さえ木、芯を挿し和紙をのせた台、米粒と竹ヘラをのせた小皿、円形に切った和紙です。
材料の米粒は糯米(もちごめ)で、氏子さんから神社に納められたもの。染めていない白い米粒と、赤、黄、緑に染めた米粒があります。色米は、染め粉を溶いた液の中に米を入れ、紙の上に広げて水分を取り除き、乾かしたもの。サイズや形がそろうよう選り分けてあります。米粉の糊(のり)は手づくりのもの。直径約4.5センチの円形の和紙も手づくりで、中央に穴が開けてあります。台と芯は使い終わったら洗って、繰り返し使います。

米御供の模様を図に落とし込んだ設計図もあります。これを見ながら米粒を台に盛っていきます。
手順としては、まず、円形の和紙の裏面に糊をつけたものを、芯に通して台にのせ、和紙の表面の縁にもヘラで糊をつけます。次に、ヘラで色米を1粒ずつ取り、設計図の一番下の段のとおりに、和紙の縁にぐるりと置いていきます。米は1段につき42粒です。そのため、和紙の外周は米42粒分の寸法に合うようにつくられています。

神経を使いそうな作業ですが、このとき「和紙の縁から米粒が半分はみ出すように、胚芽のない方が外を向くようにして置いていきます。そうすることで、完成したときに美しく整った姿になるんです」と土居さん。なんという繊細な作業! それは時間がかかるわけです。また、手間取るのは「ヘラで米粒を取って和紙の上に置くとき、慣れないと糊から米粒がなかなか離れないところ」だそう。1段分の米粒を置くのに10分ほどはかかるようです。

1段分の米粒をのせたら、芯に「押さえ木」を上から通して押さえ、米粒を平らに整えます。「これをするのとしないのとでは、仕上がりが違います」と土居さん。次は、1段目の上から同じように糊づけした和紙を置き、設計図の下から2段目にしたがって、米粒をのせてきます。色米と違い、白い米は選定していないので、形のきれいなものを選んでのせていきます。2段目からは「お月見団子のように、下の段の米粒の間にのせていくようなイメージ」だそう。

米粒をぐるりと和紙に置く作業を繰り返していくと、横から見たとき菱形の模様ができます。上の設計図のものでは12段で1つの菱形のパターンができるようになっています。「米粒や和紙のサイズや形がそろっていれば、ひたすら和紙から米粒を半分はみ出すように置いていけば、まっすぐきれいな御供ができるはず……」と土居さんは言いますが、そう簡単にはいきません。集中力が切れると、がたついたり、和紙の縁が見えたりしてしまいます。米御供の奉仕者のなかには、調製中は「電話がかかってきても、宅急便の配達がきても出ない」という方もいるとか。

精神力を問われそうな米御供の調製は、なんだか修行のよう。最終的には、高さが15センチほどになるまで米粒を盛らなければなりません。土居さんは神社に泊まり込んで作業を続けます。
次回に続きます。
[取材・文/中尾千穂]