読みもの

お能の扉、開けといたよ

presented by 月イチ能楽講座 第1回
令和8年1月9日
小鼓方・成田奏さん
「お能に興味のなかった僕が、能楽師になるまで」#1


 中世にさかのぼる伝統芸能である「お能」は、知れば知るほど面白く、人をひきつけて離さない魅力があります。でも、古い時代の言葉づかいや、ゆっくりした抽象的な動きなど、予備知識なしでは難しく感じてしまうことも。
 そんなお能の世界の扉をぐぐっと開いてくれるのが「月イチ能楽講座」です。関西の若手能楽師のホープたちによる、軽妙なトークに迫力ある実演を交えての解説は「わかりやすい!」「楽しい!」と評判。そのメンバーによる本連載では、手はじめに「能楽師ってなんぞや?」という疑問に迫るべく、彼らに能楽師になるまでの道のりを綴っていただきましょう。


月イチ能楽講座
東京・大阪・京都で毎月開催、毎回お能の1つの曲(演目)を題材に、能楽師シテ方の大槻裕一(おおつき・ゆういち/写真右)、小鼓方の成田奏(なりた・そう/写真中央)、大鼓方の河村凜太郎(かわむら・りんたろう/写真左)が、若いエネルギーとみなぎる情熱、関西ノリの話芸とキレのある技で、たっぷり解説。オモシロ企画満載のインスタグラムも必見。
⚫︎講座のお申込・開催スケジュール・詳細は↓
https://www.instagram.com/noh_once_a_month/



 はじめまして。能楽の囃子方(はやしかた)として小鼓を演奏する「能楽師小鼓方」の成田奏と申します。若手能楽師仲間と主宰する「月イチ能楽講座」がお送りするこの連載で、みなさまに能楽の魅力をお伝えしたい!と力こぶをつくっているところ。
 でも、「お能」や「能楽」というと、なじみのない人や、よくわからないという人も多いと思う。大好きな能楽の世界に身を置く自分も、初めから能楽に惹かれたわけではない。その魅力に気づいたのは、これまで濃密な時間を過ごした環境のおかげだ。今回は、能楽をはじめ日本文化に魅力を感じていなかった人間が、どのようにして能楽の世界にのめり込んでいったのかを振り返ってみる。

幼少期~能楽師の家に生まれて~

 阪神淡路大震災翌年の1996年7月、神戸市東灘区で僕は生まれた。父・成田達志は、現在の僕と同じく、能楽師小鼓方。母は元ピアノ教師で、2歳上の姉がいる。僕の名前をつけたのは、父の祖母、僕のひいおばあちゃんだ。先祖に「宗(そう)」という名前の人がいたそうで、僕に「奏」の字を当てたと聞いている。能楽が大好きだったひいおばあちゃん。今の僕の職業には、良い字をつけてくれたなと思う。


 僕が生まれてすぐ、我が家は建て替えのため大阪府北部の豊中市内へ住み移ったそう。その頃、父(当時32歳)は大阪に拠点を移して活動していた。活動範囲を関西圏外に拡げていった父と同じく、私は保育園に活動範囲を広げた。が、約1年の豊中生活の記憶はほとんどなく、唯一の記憶は、少し色あせたバーガンディ色の壁の保育園だ。でもこれは、もしかするとアルバムの写真の記憶だったかも?と思ってアルバムを見たら、壁の色は白だった。そのくらい当時の記憶はあいまいだ。


 その後、一家は神戸に返り住み、この頃からが僕の幼少の記憶になる。わりと大きな桜の木が植えてある保育園で、春を過ぎて暖かくなった時期に「阪神タイガース色の毛虫には近づくな」と言われたのが印象的で、はっきりと覚えている。あとは、保育園の帰りがけ、入り口の門を挟んで姉の同級生と話した景色もよく覚えている。話の内容を美化して言うと「指で鼻を触りすぎたらいけないよ」である。


 おそらくその頃、父がお世話になっていた大阪の山本能楽堂へ月に1~2回ほど通い、謡(うたい)と仕舞(しまい)の稽古をしていた。ちなみに、謡は、お能の詞章を決まった節(ふし)や発声で謡うもの。仕舞は、装束や面(おもて)をつけず、お能の一部の舞や所作を謡に合わせて舞うもの。稽古をつけていただいていたのは僕だけではなく、姉も一緒だった。うちだけでなく、能楽師の子供は男の子も女の子も、幼い頃から謡や仕舞のお稽古をすることが多い。謡の稽古はいわゆる「オウム返し」で、先生が言ったとおりのことを、声に出して繰り返す。子供なので意味もわからず、言われるがままだ。


 稽古といっても、その頃教えていただいたのは、いわゆる「お行儀」がメインだったと思う。たとえば、謡や仕舞の稽古の際には、白足袋を履くのが鉄則。足袋の履き方は、みなさま知ってのとおりで、靴下を脱いで、足袋に足を入れ、足首のコハゼを留める。だが、この動作の中にもお行儀が存在する。靴下を脱ぐ際に、人がいる方向に足を投げ出すのは無礼だと教わった。たしかに、足を向けられて喜ぶ人などいない。他にも、ご挨拶の仕方や扇の持ち方などを、優しく楽しく教えていただいた。


 その後、いつまで謡と仕舞の稽古をやっていたかは、記憶にない。たぶん、あまりに子供で何も考えていなかったからだろう。姉のほうは小学校高学年のころは子方(子役)として舞台に出ていたから、中学に入る前までは続けていたと思う。

<続く>
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