読みもの

和の響き――日本の音色に魅せられて

第1回 龍笛――その2
令和7年7月30日
2 藤脇亮さんのこと

民間への雅楽の普及と技術向上を目的とする雅楽道友会

 今回、龍笛の作り手として登場してくださるのは、雅楽道友会(https://gagaku.com/)の藤脇亮さんです。龍笛の話をどなたに聞くのがよいのか、兵庫県西宮市にある広田神社で禰宜(ねぎ)を務める嶋津宣史(のりふみ)さんにお尋ねしたところ、挙げてくださったのが藤脇さんのお名前でした。嶋津さんも笛のことはすべて藤脇さんにお願いしているとのことです。

藤脇亮さん



 雅楽道友会は昭和42年、元宮内庁楽部楽師でいらっしゃった薗廣教(そのひろのり)さんを中心とし、民間への雅楽の普及および技術向上を目的として発足しました。
 現在はNPO法人(特定非営利活動法人)として活動しており、現代表は、東京都品川区にある下神明(しもしんめい)天祖(てんそ)神社宮司の福岡三朗さんです。福岡さんと共に会を運営しているのが、藤脇さんを含めた5名の運営メンバーで、この5名の方は雅楽道友会の楽器工房SONO(https://gagaku.com/sono/)の楽器製作者であると同時に、楽器と舞の先生としておよそ60名にのぼる会員を教えていらっしゃいます。
 コロナ禍では管楽器が忌避されたため、会の運営に行き詰まるほど苦労されたそうですが、自分たちの稽古は休むことなく続けたそうです。

令和5年年11月7日、稽古中の雅楽道友会の方々。右端が下神明天祖神社宮司の福岡三朗さん


「稽古を休むと演奏の腕が落ちてしまいます。僕たちにとって雅楽は趣味ではなく生業(なりわい)なので、常に演奏の技術は維持する必要があるんです」(藤脇さん)
 ちなみに藤脇さんは下神明天祖神社(東京都品川区)および乃木神社(東京都港区)の神職でもいらっしゃいます。


ロック好きのギター小僧が「音楽とかかわって生きていくために」龍笛を選んだ

 令和5年10月、品川の住宅地にある工房を訪ねました。通りから少し奥まった場所に建つ普通の戸建て住宅です。おそるおそる声をかけると、「あー、初めまして」と藤脇さんが玄関ドアを開けてくれました。他の楽器製作を担当している方たちも笑顔で迎えてくれました。

 藤脇さんが笙製作の方と一緒に使っているという部屋に入ると(この日は笙の方はお休みでした)、藤脇さんの椅子の周りにはいろんな状態の笛がずらりと並んでいました。

修理中の笛の数々。高麗笛も見える


 藤脇さんは昭和55年、広島県のお生まれです。もしかするとご実家が神社なのかなと思って、龍笛との出会いを尋ねると、意外な答えが返ってきました。
「いやいや、神社とは何の関係もないんです。僕、実は高校生の頃までバンドを組んでハードコアパンクやロックやヘヴィメタルなんかの曲をコピーしていたんですよ」
 藤脇さん、まさかのギター小僧でした。
「担当はエレキギターとボーカル。母が音楽教師で、子供の頃は母親からピアノを習ってたんですけどすぐにやめ、中学生になってからはロック一筋。クラシック専門の母への反発もあったんでしょうね。髪も長髪とモヒカンを繰り返していました(笑)」

 ところが高校時代のある時期から藤脇さんに異変が起こります。スタジオでのバンド練習中にアンプから出る自分たちの音を「うるさいな、嫌だな。なんでこんなにうるさい音楽をやってるんだろう」と感じたそうです。
「バンド仲間はミュージシャンの夢を追いかけるって言っていましたけど、僕は『このままでよいのか』と思うようになり、人生どう生きていくべきか、真剣に悩みました。ロックやブルースに欠かせないリズム感やグルーヴ感、音楽性は日本人に生来的に備わったものではないんですよ」
 ロックやブルースに必要なリズム感やグルーヴ感が備わってない……これはなんとなくわかりますね。
「確かにロックは夢だったけど、音楽とかかわって生きていくのなら、日本の音楽を選んだ方がいいのではないかと思ったんですね」
 そこで選んだ楽器が龍笛でした。
「母の影響で、浅い知識ではあったけれど、雅楽のことは知っていました。龍笛を選んだのは、自分の呼吸がそのまま音になるから。呼吸器官は、人間にとって生物としての根源的な気管ですよね。そこを使う楽器である点に惹かれたんです。篳篥も同じだけど、響きが龍笛のほうが好きだった。笙はリードを用いるので、自分の呼吸と楽器が直につながってはいない。笙は吹けばリードが鳴ってくれます。それに笙は伴奏楽器でメロディを演奏しないでしょう。元ギター少年としてはメロディを奏でたいという気持ちがあったのかもしれません。それに龍笛は吹く構えもギターのようにかっこいいですからね」
(次回:8月6日掲載予定 取材・文/岡田尚子)

 

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