連載[第4回]

孫世代の遺族たちのそれぞれの思い

硫黄島に触れた時 連載 第4回
令和7年8月12日
硫黄島の中央にある硫黄が丘。今も多くの硫黄が噴出している

■連載[第4回]
「やっと遺族になれた気がしました」 その4

●夫と姑の三回忌法要を済ませると「自分の生まれたところを見てみたい」
 相澤五郎とマスミの娘で、今井さんの母親である正子さんが「北海道に行きたい」と言い出したのは65歳の時だった。その2年前の平成18年(2006)に夫の前田(まえた)義勝が亡くなり、その翌年の1月には夫の母である姑(しゅうとめ)、さらに続けて、同年5月には実母である相澤マスミを亡くした。その葬儀などを済ませて落ち着いた頃だった。夫の父である舅(しゅうと)は結婚前に既に亡くなっていた。ちなみに舅は戦争には行かずに済んでいた。
 中学卒業後、町の「床屋さん」で修業し資格をとった正子さんは、国鉄(現JR)の機関区内で理容師として働いた。機関区とは主要駅に隣接して設置され、機関車等の運用や補修、乗務員の管理などを行うところだ。昭和42年(1967)に、化学メーカーに勤めていた前田義勝さんと結婚。正子さんが修行していた店に義勝さんが髪を切りに来て、見染められたことが馴れ初めだった。長男を筆頭に、一男二女に恵まれた。今では結婚して姓は変わったが、今井さんはその長女にあたる。
 昭和55年(1980)頃、家を建て替えた時、車庫だったところを改築して店を開業した。以来、その自分の店で働いた。生前の正子さんの写真を見せていただくと、おしゃれにも気を遣い、ふくよかでほがらかな顔立ちをされている。夫と姑、実母を亡くすと、ツアーに参加し好きな神社・仏閣巡りに出かけては参拝した。恐山にも行って、イタコに口寄せもしてもらっていた。
「やはり自分の父親である祖父のことが気になっていたんでしょうね。2歳の時に生き別れていて記憶がないわけですから。ましてや、自分の母は父のことを語っていなかったのでしょうし」
 旅には、夫ともよく一緒に出かけてはいた。
「でも、なかなか自由にはできなかったようです。また、女性一人だけの旅に出すような父親ではありませんでしたから」
 そして、夫と姑の三回忌法要を済ませると、「自分の生まれ故郷が見てみたい」と言い出したのである。とはいえ、広尾町は遠く、交通の便も悪い。現在でも苫小牧からクルマで3時間以上はかかる。平成20年当時は6時間ほどかかった。今井さんがクルマを運転し、八戸からはフェリーで移動した。小学生だった今井さんの娘二人と同世代の甥っ子も観光がてら連れて行くことになった。

今井さんの母・正子さん。左写真は広尾町に行った時

●あふれる涙をハンカチでぬぐいながら
「手掛かりも何もありません。行けば何かわかるだろうということで、出かけたんです」
 子供たちは宿で遊ばせておいて、母と娘の二人で広尾町を歩いた。お寺があったので、何か分かるかもしれないと思い訪ねてみた。「相澤」と名乗り、住職に訳を話すと、檀家にその名を知る人がいるという。好意に甘えてその檀家さんのところに連れて行ってもらうと、相澤五郎の一族が経営していた会社の元従業員だった。
「そこで初めていろんなことが分かったんです」
 裕福だった家、出征の秘密……母親は、あふれる涙をハンカチでぬぐいながら、ただひたすらに聞いていた。正子さんの中で、空白の過去が埋められた瞬間だった。
「酒田に戻って伯父に話すと、当時、伯父は既に小学生でしたから、住んでいた家の近所の風景や父親の出征のために帯広まで鉄道で送っていったことなど、断片的な記憶は持っていました。当時の自宅は、港の近くの海岸端にあったということです」
 しかし、正子さんには、その記憶の断片すらない。事実を知っても、父の面影や生まれた地の当時の色彩は決して瞼に浮かぶことはない。
「それからです。母が硫黄島に行きたい、と言い出したのは。父親が亡くなったところを見てみたい、と。でも、行く術が分からなかったんです。最後には、本当に行けないのか、と念を押され、詰め寄られる感じでした」
 今井さんは、母親である正子さんが亡くなった時の出来事を鮮明に覚えている。
コロナ禍の中、介護施設での面会は制限されていた。好物の果物など、できる範囲で差し入れなどを行っていた。倒れて搬送されたという介護施設からの連絡を兄からもらって、病院に向かった時には手遅れだった。2時間ごとに行われる夜の巡回の時には異常はなかったものの、早朝には、施設のベッドの上で吐いて意識を失っていたのだ。その日は両親の結婚記念日の11月15日で、しかも父親(夫)と同じ脳出血だった。亡くなる二日前のことである。
その入院中に、今井さんが、自宅での用を済ませるため病院を離れようとした時のことだ。
「駐車場でクルマに乗りこもうとして、鍵を束ねたキーホルダーを落としてしまったんです。すると、今までは落としたくらいでは決して割れることのなかったキーホルダーの一部が欠けてしまったんです」
 それは、生前の父親と母親が北海道旅行に行った時に、馬が大好きな今井さんのためにおみやげとして買ってきてくれた馬蹄をモチーフにしたキーホルダーだった。
(続きは8月19日掲載予定)取材・文/伊豆野 誠
割れたキーホルダー。今井さんの父親と母親がおみやげとして買ってきてくれたお土産だった。写真の日付はそれが割れた時を示している

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