連載[第20回]

孫世代の遺族たちのそれぞれの思い

硫黄島に触れた時 連載 第20回
令和7年12月2日

■連載[第20回]
「一人娘」をめぐって。奈良の旧家の末裔たち その5

●慰問品が届いて……。手紙に「有難う」の単語を10回連ねる兄
 一方、源二への軍事郵便はもっと率直だった。兄弟の間柄だったというのもある。さらに、源一は地区隊の副官で郵便の責任者、一方、源二は東京の東部2112部隊砲兵部隊の隊長で、木更津地区から館山地区までの陸軍部隊隊長だった。つまり、木更津あるいは館山海軍航空隊気付で「公用 至急」「検閲済み 服部」などの印を押せば、航空便を優先的に使える。しかも、「副官 服部宛」にすればスムーズに届く環境にあったのだ。
 源一は源二に対し、食料品などの慰問品を送るように頼んだ。しかし、源二は、「公私をわきまえ」、あえて「公用」の職権を利用せず、一般の軍事郵便と共に慰問品を送った。従って、航空便で発送されたかどうかは分からず、制海空権を無くしかけていたこの時期、慰問品はなかなか届かなかった。後に源二は『追悼録』に「公用にすればよかった」と書いている。
 その待ちに待った慰問品が届いた時の源一の文面が以下である。源一は「公用」で送られて来たと信じ切っていた。
「前略 
 有難うゝゝゝゝゝゝゝゝゝゝ
 お前ならこそ。弟ならこそと、かくも感謝するのはかねてより待望の(中略)、8月下旬頃、お前が海軍機により木更津より送付してくれた小包、安着完全到着せり。内容充実、豊富なり。やはり(中略)部隊の副官として公職を書きたることが木更津より海軍機により完全に届いたる最大の理由なり。荷造りも完全なり。菓子も一か月と二十日も経っているのに実に美味しくいただいた。小包到着せし時は、本部付き将校、全員よってたかって全員上を下への大騒ぎ……深謝するよ。
 有難うゝゝゝゝ
内容品、参考のため報告す。
  日用品 タバコ、チリ紙、石鹸、タオル、シャツ等
  食物 菓子、鰹節
  手紙 母とお前
  御守 成田さん、ふげん、森田さん、生駒さん、その他
  雑誌 慰問帳2冊、地図、人形等
  その他 たくさんあり
  ついては今後一か月に2回くらいは頼む。
慰問小包の希望
 日用品は支給あるにつき不要。
  タバコ頼む、来年のカレンダー2冊、日記手帳2冊、雑誌類[どんな古きものにても  可]、食物[なんでもよい]ごく粗末なものでも良い、田舎せんべいでも良い。お前に一任、少々湿っていても食う。以上
(中略)
とにかく、あの慰問小包で将校幕舎は大ハシャギであった。想像されよ。
なお、また本日、略船便到着し
家より8月24日付 母 9月12日 瑳巴子(中略)
9通一挙に入手、これまさに盆と正月が一緒に来たとはこのことなりの感あり
 家の状況も、詳細承知し得て、誠に嬉しき次第なり。この実績、簡単に家へ通知頼む。いずれ月末には出すが。
 また、頼みますよ。」(10月24日)

●長期間の下痢。黄疸(おうだん)、夜盲(やもう)症……
 しかし、源二が送った慰問品11個のうち、実際に届いたのは3個のみだった。戦後、硫黄島に慰霊に行った源二は、兄からリクエストがありながら届かなかったそれらの品々を持参し、摺鉢山の観音像の前に供えている。
 慰問品は軍事郵便と共に送っていたので、源二からの郵便も源一には3通しか届いていない。源二は『追悼録』に「戦局まさに急にして、内地よりの私信は見込みなき現状だったと思われる」と書いている。一方、源一からの軍事郵便は、公用便も交えて21通が届いていた。
 内容は、弟が中尉から大尉へと昇進したことへの喜びや、陸軍大学校への進学を叱咤激励するものなど、兄ならではのものも多い。だが、戦況や自らの感情など、家族に宛てたものよりストレートだ。以下、いくつか引用する。
「今さらながら、数回、危険なる中、無事、任地に着きたるを喜ぶなり」
「陸大の試験勉強やっているか」
「ニュースにて承知だろうが、8月31日以来、昨9月3日まで、敵爆撃機数、延べ数百機、実にものすごい」
「お前に便りするのは鉄砲玉と同じで(中略)一向にお前から返ってこないのでガックリ。この便りも駄目だろうとは思いながら一応、出してみる」
「俺も相変わらず元気なり。どうやら硫黄島向きの(中略)体になってきたらしい。それには長期間の下痢。黄疸、夜盲症など(中略)一通りの気候風土、給与、休養の不良不足を通じての病気にならなければならぬらしい。自分も軽いながら一通り経験したよ」
「同じ参謀になるなら陸士、陸大の本科出身でなければ」
「当地方の状況、逐次、予断を許さざる情勢に緊迫しつつあるを感ず。過去数か月にやってきていた敵のあらゆる方面におけるやり方と相当異なる点、見受けられる」
「12月1日、進級しただろうな。おめでとう」
 そして、最後の軍事郵便は、家族宛てのものと同じく1月29日付のものだった。その最後の4行は以下のものだった。
「共に元気で頑張ろう。ではこれまで。1月10日消印の連隊本部着任早々の葉書き、ただ今、入手せり。元気の由、何より。慰問小包、せいぜいよろしく頼む」
(続きは12月9日掲載予定)取材・文/伊豆野

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