連載[第39回]

孫世代の遺族たちのそれぞれの思い

硫黄島に触れた時 連載 第39回
令和8年4月14日

■連載[第39回]
「忘れてしまったら、存在さえ無くなってしまう」 最終回

●系図と自分の位置と戦争の影
 DNA鑑定の申し込みには、戦没者とサンプル提供者との関係図の提出も求められた。そのため母親の協力を得ながら「親族関係図」を作った。それまでにも祖母などから大まかなことは聞いていたが、新たに知る事実も多かった(系図3参照)。

 先述したように、きよの母・北川みつには、妹・まさがいた。その北川まさは、軍人だった平林藤一と結婚した。長野県安曇野(あずみの)の出身で、まさの生家だった呉服店の前を通りがかった時に、見初めて結婚した。大渕さんは、以前、多くの勲章を付けた藤一の写真を見たことがあるという。満州に赴任したこともあったようだ。
 その藤一とまさとの間に生まれたのが、大渕さんの母方の祖母・平林ふさへである。ふさへは後に、父・藤一と同郷の寿美男(すみお)を婿養子にしている。寿美男は兄弟が10人以上いたというが、ふさへには弟も2人いた中で、なぜ養子をとったのかは分からない。
 平林藤一とまさの間には、ふさへの他に、2人の娘と、上記のように2人の息子がいた。その2人の息子は、終戦後、東京の大渕家に下宿し、自らの生活の場を築いていった。また、三女のうめ子は、夫の仕事の関係で戦時中に満州にいたが、その後、夫は召集され、敗戦後、3人の子供を抱えながら命からがら逃げてきたという経験を持っていた。そのリアルな体験は、『消えたくつ ある満州避難民の記』(郷土出版社)という本に中村梅子の名でまとめられている。その本は母親が持っていた。
 先の、ふさへと寿美男の三女が大渕さんの母・早苗さんだが、そのきょうだいである4人の伯母・叔父たちは、1人の伯母を除いて亡くなった。その下の世代のいとこたちとは今は付き合いはない。
 DNA鑑定の申し込みのために始めた系図作りだったが、戦争の影はあちこちにあった。出来上がった関係図を眺めていると、驚くほど多くの人たちの繋がりがあり、それぞれに人生があって、その上で自分が今あることを改めて実感した。一方で、この繋がりが自分のところで途絶えてしまうとするなら……、そう考えると、寂しさとも虚無感ともいうような感情が去来した。

●罪悪感と弔い
「きっかけは東日本大震災だったのかもしれません」
 大渕さんにとって戦争に関することは、通奏低音のように心の底にいつもあった。祖母から話を聞いていただけに、戦争関連の新聞記事が目につけば読むし、気になる本や小説は読んでいた。とはいえ、仕事もあり、常に気に留めてはいられない。
 しかし、東日本大震災では多くの人々が亡くなった。原発事故も起きた。それを契機に、いろんなことを積極的に調べ出した。関連する本を読めば新たな問題意識が浮かび上がってきた。今まで気にもしなかったことが大変なことに繋がっていると思えてきた。
 平成28年(2016)には、神奈川県の津久井やまゆり園で「相模原障害者施設殺傷事件」が起きた。独善的に人の命を奪う心理とはなんなのかと思った。そうこうするうちに新型コロナ感染症が広まって、ロシアがウクライナに侵略した。ふと、大好きだったおばあちゃんが言っていた硫黄島への思いがリアルに甦ってきたのだ。
 渡島から2年が経った今、大渕さんは言う。
「おばあちゃんが大好きだった萬介さんのことを話したり、思い出したりするだけでも供養になると思うんです」
 弔いとは、単に成仏を願うことではなく、大渕さんが家系図を作って思ったように、故人を偲び、自らの来し方を確認することでもあったのだろう。しかし、今や萬介さんが眠る北川家の墓はない。その子孫たちが、家族の絆について思いを巡らす場所は無くなってしまったのだ。そうすると北川萬介の記憶も無くなっていく。
「忘れてしまったら、存在が無くなってしまうと思うんです。そうすると、おばあちゃんの思いもどこかに消えてしまう。萬介さんには会ったことはありませんが、写真はありますし、生きていたのは事実です。実際に位牌もあります。そして今、私は生きています。だからできることはやっていきたいと思います」
 大渕さんの「罪悪感」の背後にあったものとは、このことだったのだろう。北川萬介がどのように生きて、どんな死に方をしたのかは分からない。おばあちゃんの思いの中の存在というだけで、萬介さんそのものの輪郭は見えない。そのことが、系図を書くことで、逆に明確に浮き彫りになった。だから、その事実さえ忘れてしまったら、この世に生きたということも失われかねないのだ。考えてみれば父親も、違う「姓」を生きたかもしれないし、そうだとすると自分の存在は無かったかもしれない。
 硫黄島で「昔は悲惨な戦場だったところがこんなにきれいになっている」と、ことさらに思ったのは、そこで亡くなった人たちにも、それぞれの人生があったことが想像しにくくなっていると感じたからなのだろうか。「人の命」と「記憶」について、考え続けている大渕さんだ。
 思えば、結婚して姓が代わることに抵抗があることも、そういったことと関係があるかもしれない。「大渕」という姓が、特に好きだというわけではない。しかし、大事にしたいとは思っている。友達と話しても、「何か不都合があるの? そんなのどっちだって一緒でしょ?」という答えが返ってくるばかりだった。同性でさえ、賛同してくれた人は一人だけだったのだ。しかし、どっちでも同じなら、それまでの「大渕美津子」はどこに行ってしまうのかと、思ってしまうのだ。
 2人の弟のうち一人は亡くなってしまった。「大渕家」の墓じまいも自分がすることになるのではないかと案じている。(了)
(次回は4月21日掲載予定)取材・文/伊豆野 誠

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