
新しい「今」を生きるために その2
●父親も再婚だった
それから約2年後の7月、筆者は新幹線で山形駅へと向かっていた。諸事情から時間が経ってしまったが、佐藤さんに取材のお願いで電話をかけると「私でお役に立てるのなら」と、すぐに応じてもらった。駅に着くと、改札で筆者の名前を大きく書いた紙を手に笑顔で待っておられる佐藤さんが目についた。さっそく隣接するホテルのラウンジで話を聞かせていただくことになった。
「私の場合、シベリアから満州の話まで出てきますからね、まさに昭和生まれの人生ですよ」
ご家族のことから、話を聞いていくと、まず返ってきたのがこの言葉だった。終始、にこやかに受け答えされる佐藤さんだったが、その人生は、「激動の昭和」を反映したものだった。
系図にあるように、佐藤家は、政右衛門(まさえもん)から始まる。墓誌には、これ以上、遡る記述はないという。政右衛門は明治5年(1872)に生まれた。おそらく次男か三男で、分家するような形で居を移したのだろう。

その政右衛門が、明治32年(1899)にシマと結婚し、4年後に息子の政助(まさすけ)が生まれた。その政助が大正9年(1920)に
寡婦となったみのりは、先妻の子を含め5人の娘を抱えながら、敗戦とその後の混乱期を過ごすことになる。なお、その時、舅(しゅうと)の政右衛門はまだ存命しており72歳だった。
そして、みのりは舅を見送り、その翌年に千春(ちはる)と再婚する。この千春とみのりが佐藤さんの両親である。敗戦から3年が経った昭和23年(1948)のことだ。千春は42歳、みのりは33歳だった。同年に佐藤さんの実の姉が生まれ(6番目の姉)、その2年後に佐藤さんが誕生したのである。
千春が、戦前に満州に渡り、シベリア抑留を経て帰国したことは先述した通りだ。また、みのりと同様、千春も再婚だった。地域でのつながりの中、家同士の関係があり、人を介した婚姻だったようだ。
●中国残留日本人孤児
千春は明治39年(1906)に生まれた。佐藤家に入る前は、武田千春といった。佐藤家と同じ現・西川町(にしかわまち)の出身だった。
そこは山形県の中央に位置し、全国的にも名高い月山(がっさん)などの内陸部側麓にあたる。寒河江(さがえ)川沿いに続く平地は、月山、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)で構成される出羽三山に参詣するための街道筋としても賑わい、戦前までは鉱物の発掘や養蚕も盛んだった。
その西川町の東に隣接する現・寒河江市出身の
さらに夫婦は満州へと向かう。当時、国策として推奨され、満州や内蒙古などに満蒙開拓民として渡った人たちの出身地は、長野県がトップで次が山形県だった。その流れに乗ったのか、満州にロマンを求めたのか定かではないが、そのどちらも動機には含まれるのだろう。夫婦には千恵子という子供もいた(系図2参照)。

そして迎えた敗戦。千春は捕虜となりシベリアに3年ほど抑留された。詳細は不明だが、妻は満州の地で亡くなった。だが、娘の千恵子は中国残留日本人孤児として生きていた。
ソ連軍の侵攻と日本軍の撤退により、入植者たちの帰還は困難を極め、多くの悲劇が遺されている。身寄りがなくなった女性や子供たちは、働き手や養子などとして中国人に引き取られたり、妻となったりした。
「千恵子さんは、両親と離ればなれになった時には、既に幼少ではなく、日本語もできたようです。それで、父と手紙のやりとりをすることができ、親父はカネを送っていたんです。いつのことかは分かりませんが、千恵子さんは中国人と結婚もしていました」
先述したように、山形県は満州への入植者を多く出していた。その情報網は戦後にも維持され、そのつながりから父・千春は娘が生きていることを確認し、連絡がとれたのではないかと佐藤さんは推測する。
「当局から目をつけられるからと、結果的には、カネを送ってくれるな、と言われたようですけど」
この頃はまだ、日本と中国は国交を回復していなかった。戦争状態は終わっておらず、ましてや反日感情は今より相当激しいものがあったのだ。
「しかし、送金の事実が母に発覚すると、両親にいさかいが起こりました。私がまだ小さい頃でしたけど、その記憶は今も残っています。その後も、この件に関しては母親から愚痴を聞かされました」
佐藤家は商店を営んでいた。日用品を広く扱い、佐藤さんが物心ついた時には、店に英語表記の「デパートメント・ストア・サトウ」という看板がかかっていた。佐藤家の初代・政右衛門が起こして軌道に乗せ、その一人息子で夫だった政助が亡くなってからは、戦後の混乱期を一人で切り盛りしてきた母親だった。多くの娘を抱え、千春と再婚後も、生活は決して楽なものではなかったのだ。
「母親にとっては、自分に内緒で財産を切り売りし、ポンポン無造作にカネを送っていたように思えたんでしょう。親父としては決してそんなつもりはなかったんでしょうけど」
また、母親と千春の前妻は、出身地が同じ寒河江であった。ひょっとしたら面識もあったのかもしれず、そこに微妙な感情があったのではないかという。
(続きは5月5日掲載予定)取材・文/伊豆野 誠
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